「今思うと札幌時代は、先輩がみんなよくしてくれて」

――お笑いの世界の“洗礼”を受けたおふたり。けど吉本は候補から外していたはずが、けっきょく吉本所属になりましたね。

タカ 2回目のオーディションで受かったときに「卒業したらどうするんや」と所長に言われて、「じゃあやりたいです」となってそのまま所属することに。

いきなり上京して慣れない環境でバイト漬けになりながら活動するよりも、地元で活動したほうがやりやすいなって思ったんです。まあどこの事務所でも天下獲れるっていう、めちゃくちゃ強気な自信だけはありましたけどね。

トシ ただ札幌支社は設立されたばかりだったから、とにかく芸人の人手が足りなかった。

タカ あー、そうだな。入ったばかりのときは、関西から来た先輩コンビが1組、北海道勢は僕ら1期生だったんですが、たった3組しかいなかった。

トシ 何ならぼくらが道産子芸人1号なんて呼ばれ方されていたんですよ。

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――いくら吉本といえど、設立したばかりの芸能事務所のような状況ですね。紆余曲折ありつつも、高校卒業後の1995年にはデビューされました。

タカ 駆け出しにもかかわらず、公演で舞台に立つ機会も少なくなかった。よく営業で本州の先輩方、師匠方がいらっしゃったんですが、1年目の僕らが前座で2組目が師匠方の出番なんてこともザラでしたからね。

普通、芸歴1、2年目のひよっこが舞台に上げさせていただくことなんてないんですが、人手が足りず、早い時期からリアルな笑いの現場を体験させてもらえるのはラッキーでした。師匠方がやられている漫才も見放題だったし。

トシ 先輩方、師匠方はみんな優しくしてくれて。もし高校卒業後に直で東京に行っていたら味わえない経験だったと思います。