物語最悪の嫉妬
一方、物語最悪、男を最もうんざりさせる嫉妬をしたのが、この紫の上の異母姉である、鬚黒大将の北の方です。
彼女の母は、紫の上の父・親王の正妻。紫の上の母はこの正妻のため、ストレス死したという設定です。
鬚黒の北の方は、正妻腹の親王のお嬢様であるわけです。
この北の方は、母と異なり、性格もおとなしく、もとはとても綺麗な人で、鬚黒とのあいだに一女二男をもうけたものの、長年、執念深い物の怪に悩まされ、〝心違ひ〞(正気をなくす心の病)の発作が出る折々も多く、夫婦仲は冷えていました。それでも〝やむごとなきもの〞(重々しい正妻)としてはほかに並ぶ人もなく、鬚黒に大事にされていたのでした(「真木柱」巻)。
ところが。
北の方が35、6歳、鬚黒が32、3歳のころ(当時の夫婦は正妻が3、4歳年上であることは普通でした。源氏の最初の正妻の葵の上も4歳年上という設定です)、鬚黒は新たに23歳の美女、玉鬘のもとに通い始めます。
この玉鬘というのは、頭中将の劣り腹の娘でしたが、亡き母・夕顔が源氏とデート中、物の怪に襲われて変死したことから、夕顔の乳母一家に伴われ、九州で育っていました。源氏は、乳母をはじめとする家の人にその死を知らせず、幼かった玉鬘はもちろん、乳母たちも夕顔の死を知らぬまま、流浪することになったのです。
そういう大貴族の非道が描かれていることも『源氏物語』の凄さで、おかげで玉鬘は苦労して育つのですが、九州の土豪の求婚から逃れ、上京したところ、源氏に雇われていた、夕顔の元女房と巡り会い、いきがかり上、玉鬘は源氏の養女となっていたのでした。
今は内大臣となった実父の頭中将とも親子の名乗りをした玉鬘は、実父も養父も権力者というパワフルな妻です。しかも若い美女。
鬚黒は、恋愛馴れした色好みと違って人の嘆きを思いやる余裕もなく、可愛がっていた子どもたちをも顧みず、ひたすら玉鬘に熱中したので、北の方はますます精神状態がおかしくなっていき……事件が起きます。
その日、部屋にこもって、なんとか玉鬘と穏便にやってほしいと北の方を説得していた鬚黒は、日が暮れると玉鬘のもとに行きたくてそわそわし始めます。夫が新妻のもとに通おうとする。それを妻も許容しなくてはいけないとは……一夫多妻の悲哀です。
そのうち雪が降り出して、こんな日にまで出かけるのが人目に立てば、北の方も可哀想で、むしろ憎らしく嫉妬して恨んでくれれば、それを口実に出かけられるのに……と鬚黒は思うのですが、北の方は平静を装い、女房に香炉を持って来させて、出かける夫の着物に香をたきしめさせるなど、けなげに協力していました。
玉鬘に会いたい鬚黒はといえば、偽りのため息をついては、小さい香炉を取り寄せて、袖の中まで念入りに香をたきしめている。その姿に、鬚黒の二人の〝召人〞(お手つき女房)も嘆きながら横になっていました。実直な鬚黒は、玉鬘と結婚する前は、この北の方以外に妻はいませんでしたが、召し使う女房とは手軽な性関係を結んでいたのです。こうした関係は当時の貴族にとっては普通のことで、紫式部も道長の召人と言われ、南北朝時代にできた系図集『尊卑分脈』の紫式部の項にも、〝御堂関白道長妾云々〞と記されています。
さて北の方はと言えば、〝いみじう思ひしづめて〞(懸命に思いを沈めて)可憐にものにもたれていた……。
と、見る間ににわかに起き上がり、大きな伏せ籠の下にあった香炉を取ると、鬚黒の後ろに立って、さっと中の灰を浴びせかけたのです。
一瞬のことで、細かな灰が目鼻にまで入り、払い捨てても間に合わず、鬚黒は衣服を着替え、その日の外出は取りやめになってしまいました。
これをきっかけに、鬚黒と北の方は離婚することとなり、玉鬘は晴れて鬚黒の正妻となるのでした。
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