歴史書よりも物語にこそ
真実があるというスタンス

紫式部は、物語という手法に大きな可能性を感じていました。

それは、『源氏物語』で展開されている有名な物語論からもうかがえます。

主人公の源氏は、養女である玉鬘が物語に夢中になっているのをからかいながらも、冗談めかしてこう言います。

「『日本書紀』などの歴史書は、ほんの一面に過ぎないんだよ。物語にこそ、正統な詳しい事情が書かれているんだろう」(〝日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ〞)(「螢」巻)

平安中期当時、正式な文書は仮名ではなく漢文で書かれていました。中でも『日本書紀』は国が編纂した歴史書ですからその地位は重いものでした。ところが源氏はその『日本書紀』より物語のほうが〝道々しく詳しきこと〞が書かれていると言います。〝道々し〞とは、学問的で道理にかなっている、政道に役立つ、といった意味です。書き手の恣意が入る、勝者に都合のいい歴史書は、人の世のほんの一端に過ぎない。物語にこそ、真実が書かれているというのです。

源氏は続けます。

「誰それのことといって名指しでありのままに書き写すことこそないけれど、良いことでも悪いことでも、この世に生きる人の有様の、見ても見飽きず、聞くにも余る出来事を、後の世にも語り伝えさせたい節々を、心にしまっておけなくて書き残したのが、物語の始まりなんだ」

物語は、現実にもとづいているというのです。

さらに、

「良いふうに言うためには良いことばかり選びだし、人に受けるためにはまた、ありそうにないほど悪いことを書きつらねる。それも皆それぞれに、この世の現実の出来事と無縁なことではないんだよ」

誇張はあっても、あくまで現実がベースとなっていることには変わりない。描かれるのは現実の人間なんだ、と。

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要するに、紫式部は物語にこそ真実があるという考えで、物語を綴っているのです。

これは、現代人にとっては目新しいことではないでしょうが、千年以上前の人々にとってはとても新鮮な考えだったはずです。繰り返すように、当時の正式な文書は漢文で書かれたものであり、仮名で書かれた物語などは、オンナ子どもの慰み物という位置づけだったのですから、

「文書の中でも最も格の高い正史である『日本書紀』より物語がまさる」

と受け取れるような源氏の発言がいかに思い切ったものであるかが分かります。