Perfumeにも最初はみんなぽかんだった

21世紀最初の10年、いわゆるゼロ年代に女性アイドルはパッとしなかった。それでも07年4月、私は初の評論集『アイドルにっぽん』を上梓している。反応は冷ややかなものだった。「アイドル評論? ぷっ、何それ(笑)」といった調子だ。しかし、この本は一部の若い層にひときわの熱度をもって読まれた。

『アイドルにっぽん』の終章に、私はPerfumeの『コンピューターシティ』をBGMとして記した。当時、仕事場でPerfumeの楽曲をガンガンに流していたのだ。

ある日、若い女性アーティストらの個展に招かれた。恵比寿のギャラリーだ。小さなスペースに女の子たちの写真やイラストやオブジェが展示されている。私は持参したCDを流してもらった。テクノ音が鳴り響いて、ボコーダーで変換された少女アイドルの歌声が聴こえる。みんな、ぽかんとしていた。

「あっ、Perfumeだ! わたし、大好きっ!!」

たった一人だけ、反応した女子がいる。東京藝術大学を出たばかりだという彼女は、パッと瞳を輝かせ、Perfumeの『チョコレイト・ディスコ』に乗って踊っていた。

もふくちゃん、こと福嶋麻衣子さんだ。そう、後に秋葉原の〝萌え社長〟として名を馳せ、でんぱ組.incのプロデューサーとなる。

「……いい顔になる」2005年にAKBブームを予見した超おたくとは。「これからは最大公約数ではなく最小公倍数の時代」と語った秋元康の真意_3
「チョコレイト・ディスコ」が収録されたアルバム『GAME』

08年1月、10歳下のライターの強い誘いでSHIBUYA-AXホールへ行った。AKB48の第1回リクエストアワー公演である。異様な盛り上がりだった。デビューから2年、こんなにもファンを獲得していたのか!? 率直な驚きだった。

Perfume、AKB48、そして、ももいろクローバー(Z)が続く。ゼロ年代後半の胎動を経て、一気にアイドルが息を吹き返した。2010年になる頃には〝アイドル戦国時代〟とも称される。

女子アイドルグループが次々と名乗りを上げ、何しろ数が多い。大手芸能プロダクションに所属しない、いわゆる地下アイドル、インディーズアイドル、さらには全国各地で独自の活動を展開する地元アイドル、ご当地アイドルらが大量に輩出した。一説にその数、1万人以上(!)とも言われる。日本のアイドル史上、空前の事態、熱い盛り上がりともなった。