宅間守と附属池田小事件

死刑になりたいと重大事件を起こした男たちの中でも、世間に与えた衝撃の大きさという点でまず思い浮かぶのは宅間守(犯行当時37歳)だ。

事件は2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校で起こった。校内に侵入した宅間は逃げ惑う子どもたちを追いかけまわし、出刃包丁で1、2年生8人を殺害、13人に重傷を負わせ、止めに入った教職員2名にもけがを負わせたのだ。

駆け付けた警察官に現行犯逮捕された宅間は殺人、殺人未遂、建造物侵入、銃刀法違反の罪で起訴され、2年後の2003年8月、大阪地裁で死刑判決が言い渡された。弁護人が控訴したが本人が取り下げ、死刑が確定した。

付属池田小事件の犯人・宅間守は本当に死にたかったのか?~死刑を望んで人を殺傷した男たちの罪と罰~_1

現在の大阪拘置所は高層化され新舎房が建てられているが、宅間が収容されていたのは1957年から受刑者の手によって5年余りの歳月をかけて建てられた旧舎房だった。宅間のいるフロアには他に2名の死刑確定囚と死刑、無期又は長期の判決が見込まれる被告人を収容していた。

宅間は一審の判決確定後、「死刑になりたくて事件を起こした」「早く死刑を執行しろ」と騒ぎ立て、法務大臣にも文書で申し立てていた。はたして死刑になりたいからと前代未聞の大事件を起こした男の希望どおりに、早期の死刑執行をしていいものなのか。法務省も大いに困惑したに違いない。

5度目の結婚を獄中で果たした宅間の心情の変化

宅間は獄中から手紙と面会で交流をはじめた女性と結婚した。手も触れられない、入籍だけの獄中結婚である。宅間と親しく言葉を交わしていた第4舎を担当する処遇係長は、宅間がこの5度目の結婚に幸せを感じているのでは、と思っていた。

過去4度の結婚については、憎々しげに相手方のことを語り、「俺は女どもに不幸のどん底に突き落とされた。世間が俺のことを忘れないうちに死刑にしてくれ」と語っていた宅間だったが、ある時、冗談とも受け取れる口調で、「刑務所は俺たちの希望をきかないよな。いつもその逆のことをするのだから。懲らしめることが、あんたらの仕事だろ?」と吐き捨てた。

意味不明の質問だったが、処遇係長は何となく死刑執行時期に関する事だろうと察知し、
「それは俺にはわからないが、結婚できてよかったな。優しくていい嫁さんだろ?」
と返答すると、宅間は照れるように微笑んだのだ。

処遇係長は、その何とも言えない表情に、妻を愛することで幸せな気持ちになっているのだろうと感じた。しばらく観察を続け、宅間の心情の変化に確信を持った係長は、次のとおり所長に報告した。