死ぬことばかり考える日々

ーー16歳から6畳1間のアパートで1人暮らしを始めたそうですが、どうしてですか?

遠野 一度、縁を切って逃げなきゃと思ったんですよね。お薬を大量に飲んでしまって、現場に行けなくなっちゃった日があったんです。救急車で運ばれたのかどうかは記憶が飛んでいるんですけど。仕事を1回休まなくてはいけないとドクターストップがかかってしまって、それを機に、1人暮らしを始めました。

ーー薬を飲んだのも、虐待が起因していたんですか。

遠野 もう全部が嫌になっちゃったんだと思います。母の気を引きたかったのか、死にたかったのかもわからない。いろんな薬を飲んじゃって、座ると頭がハンマーで殴られるみたいに痛くなっちゃって、ぷつっと意識が飛んじゃって気付いたら病院のベッドの上でした。でも目が覚めたら母もいないし、マネージャーがいて「仕事よ」みたいな状態だったから、絶望しかなかったですよね。

ーー精神的に不安定なときはどんなことを考えていましたか?

遠野 もちろん死ぬことばかり考えています。今でも考えますよ、最悪死ねばいいんだって。最後の切り札として。だから頑張ろうって。でも実際はね、人に迷惑もかけたくないし、明日には笑っていられるかもしれないと思えば、そんなことは実行しないし、大丈夫ですけど。

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ーー20代の最後にお母さまと縁を切ったそうですね。

遠野 私はたまに電話をして母を責めることもあったんですけど、最後の最後で不倫相手に電話を取られて「うちのやつが過呼吸を起こしたじゃないか」とか「謝れ」とか「もう二度とかけてくるな」って言われて。そんなこと言われたら、もう私からは怖くてかけられなくなっちゃってそれっきりですね。それから十数年、音信不通でしたね。

ーーその後、気持ちは楽になりましたか?

遠野 気にしないときはなかったです。舞台とかやると、絶対にいるわけないのに、客席を探しちゃったり。母は絶対来るような人じゃないのに、ばかですよね。どっかで期待しちゃうんですよね。