最高におしゃれな三十秒だった、カセットテープのCM
私が山下達郎という名前を知ったのは1980年、カセットテープ「maxell」のCMだった。細過ぎず太過ぎないジーパン(今でいうデニム)に白シャツ、生成色のジャケットというシックないでだち(ジャケットの袖はラフにたくしあげられている。今でいう抜け感がある着こなし)、場所は少しずつ明るくなっていく明け方の海。膝まで海に浸かり、長い髪をなびかせ、右手をピストルに見立て、人差し指でこちらを撃ち抜くような仕草をする。流れる歌はかの名曲「RIDE ON TIME」。最後に「いい音しか残れない。マクセル」というナレーションが入るだけ。性能をまくし立てたり、登場人物が派手に踊ったりおどけたり、そういうのは一切ない。最高におしゃれな三十秒だった。
山下達郎=クールで都会的というイメージが確立された。どろっとしていて湿っぽい「歌謡曲」や「演歌」の対極に位置する存在だった。
それ以降、テレビという下世話な箱の中に本人が登場することは滅多に(もしかしたら、一切かも)なかった。1982年に結婚したパートナーの竹内まりやはあの頃、西海岸的「和製アメリカン・ポップス」の歌い手で、こちらもからっとしておしゃれなイメージだった。二人が結婚した時、勝手に「東海岸」と「西海岸」のカップル誕生と思ったりもした。
80年代には「シティポップ」なんていう言葉はなかったが、二人の歌が醸し出すドライでファッショナブルなイメージはまさしく「シティ」で「ポップ」、…のだったはずだった。
リゾートホテルやディスコではなく、
賭博場辺りをイメージして聞くべき音楽だったのか
加熱する報道を受け、松尾さんが日刊ゲンダイの連載「メロウな木曜日」にことの経緯を書いていた。それによれば、スマイルカンパニーと深い関係にあるジャニーズ事務所に物を申した松尾さんがスマイルカンパニーに存在し続けるのを山下サイドが認めるのはむずかしい、「なぜなら、三家(注・山下家、ジャニーズの藤島家、スマイルカンパニーの小杉家のこと)のつきあいはビジネスではなく『義理人情』なのだから」と伝えられたそう。家だの義理人情だの、任侠を連想させる単語が並ぶこの一文は衝撃的だった。「シティ」でも「ポップ」でもないし、都会的でもファッショナブルでもない。勝手にそんなイメージを抱いていた自分が滑稽でもの悲しい。リゾートホテルやディスコではなく、賭博場辺りをイメージして聞くべき音楽だったのか。
彼らが体現したように見えたシティポップはアメリカにあこがれる発展途上国だった日本が生み出した幻想なのかもしれない。
文/甘糟りり子