ネット上に溢れている侮辱は取り締まれるのか

第三に気になるのが、処罰の衡平性(こうへいせい)だ。

事例A~Dは、確かにひどい事例だ。「その表現もやむを得なかった」との評価につながるような事情(違法性阻却事由)も見当たらないように思う。だから、これらの事例で有罪の判断がなされたことに、特に問題は感じない。

ただ、この事例と同程度の侮辱は、ネット上にはあふれている。同じようなことをしているのに、ある人は罰せられ、ある人は捜査すらされない。これでは衡平に反するだろう。法制審議会で紹介された有罪事案との衡平を実現するためには、今とは桁違いの数の事例について、刑事手続きを進める必要がある。おそらく、警察・検察に専門部を置かなければならないだろう。裁判所の負担も想像を絶する。

そんな状況に対応する準備はできているのだろうか。もしできていないとすると、忙しさとか熱心さといった、担当者の主観的な事情によって、検挙するかどうかが左右されてしまう危険がある。場合によっては、被害者がどれだけうまくアピールできるかで決まる、なんてことにもなりかねない。

「あの事例では検挙してくれたのに、もっとひどい言葉を使ったこの事例は対応してくれなかった」

「同じような侮辱がたくさんあるのに、なんで自分だけが罰金30万円なのか」

そんな不満が蓄積すれば、侮辱罪の正統性が薄れてしまう。被害者に対して、「あなたが騒ぐから、こんな目にあったのだ」などと逆恨みする人も出てくるだろう。

「衡平でなくても、悪いことをしたのなら罰を受けるのは当然じゃないか」

「抜き打ちチェックをしていれば、全体として健全な方向に進むだろう」

という考え方もありうるのかもしれない。しかし私は、どうにもそれは受け入れがたい。社会をよくするために、一部の人が特別な不利益を受ける、なんてことはあってはならないのだ。

侮辱から人々を衡平に守るためには、警察・検察に多くの告訴に対応できる態勢が必要だ。とはいえ、それにも限界はあるから、処罰すべき「悪質な侮辱」をセレクトする作業をせざるを得ない。そして、何が「悪質な侮辱」なのかの基準が、私にはいまだに見えてこない。「告訴するぐらいに、被害者が怒っている」は基準となりえるだろうか? と考えるが、あまり適切とは思えない。我慢強い人が損をする社会なんて、やはり、あってはならない。

あれこれ考えた結果、もとの「侮辱罪がよくわからない」に戻ってきてしまったようだ。こうなると、「判例の積み重ね」を待って、そこから「悪質」の判断基準を抽出していくしかないように思える。衡平に運用されているかどうかは、数々の有罪事例を比較しないとわからない。裁判所や法務省は、侮辱罪に関する情報を積極的に公開していってほしい。


イラスト/カツヤマケイコ