「会ったことのない人、知らない人」
当時の斉藤について「週刊明星」(1991年4月25日号)にはこう記されている。
《由貴自身、親しい友人に、「私たちは、出会ってしまったのよ」と運命にも似た“男と女”の出会いをしみじみと漏らしている。「もう、私たちを引き裂くことは誰にもできない」》
不倫だろうが、世間の批判だろうが関係ない。そんな一途な恋愛体質さえ感じる言葉だが、斉藤は尾崎の妻についても会見でこう言い放っている。
「冷たいようですが、私の会ったことのない人、知らない人」
その後、尾崎が妻に一方的に離婚を求めているなどの報道もあり、略奪婚も噂されたが、翌1992年4月、衝撃の結末を迎える。
尾崎が都内民家の庭で全裸で倒れていたところを発見され、その後肺水腫で急死してしまったのだ。享年26。斉藤は尾崎の死を聞き号泣したというが、2人の不倫騒動はこうして幕を閉じた。
だが尾崎の死から1年半、またしても斉藤は不倫騒動を巻き起こす。元ジャニーズアイドルだった川崎麻世との不倫が「フライデー」(1993年7月30日号)にスッパ抜かれたのだ。
この時最初に会見を開いたのは川崎のほうだった。怒りで仁王立ちする妻・カイヤが背後から睨みをきかせる中、不倫を全面的に認めて謝罪するという前代未聞の会見は、芸能史上に残る強烈なものだったが、斉藤もまた囲み取材に応じて不倫を認めた。
「私という人は、毎度こんな風になってしまうのかなと思いますけど、前の人とのことがあったにもかかわらず、学ばない人間なんだなと自分のことが悲しいです」
だが一方で川崎を妻から奪おうと思ったか否かを問われた斉藤は「そこまで熱烈に…そんな恋じゃなかったと思うから、そんな風に切羽詰まったものではありませんでした」と吐露している。ある意味、かなり素直でもある。当時はまだ世間も芸能人の不倫に対して、やや大らかな時代でもあった。
「会見を開き謝罪したこともあり、特に仕事を干されるわけでもなかったようです。批判の声は多かったが、中には同性の女性から擁護する声もあったほどでした」(前同)
斉藤は川崎との破局後の1994年には同じモルモン教徒の男性と結婚、3人の子どもに恵まれているが、結婚に際してマスコミのインタビューに応じた言葉はその恋愛観をよく表していて、興味深い。
「(結婚は)恋愛とは違いますからね」「信仰が軸となっている結婚だとは思います」(「サンデー毎日」1994年11月13日号)