「会ったことのない人、知らない人」

当時の斉藤について「週刊明星」(1991年4月25日号)にはこう記されている。

《由貴自身、親しい友人に、「私たちは、出会ってしまったのよ」と運命にも似た“男と女”の出会いをしみじみと漏らしている。「もう、私たちを引き裂くことは誰にもできない」》

不倫だろうが、世間の批判だろうが関係ない。そんな一途な恋愛体質さえ感じる言葉だが、斉藤は尾崎の妻についても会見でこう言い放っている。

「冷たいようですが、私の会ったことのない人、知らない人」

【Dr.チョコレートで怪演】斉藤由貴が、尾崎豊、川崎麻世、50代医師とのダブル不倫など浮き名を流し続けても致命傷を負わない理由。「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」発言_3
河田町のフジテレビにて尾崎との不倫騒動の釈明会見に応じる斉藤。「真実を知りたいんですか。それはご想像におまかせします」と現在では考えられないほど強気な会見だった(「週刊明星」1991年5月23日号より)
【Dr.チョコレートで怪演】斉藤由貴が、尾崎豊、川崎麻世、50代医師とのダブル不倫など浮き名を流し続けても致命傷を負わない理由。「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」発言_4
同 河田町のフジテレビにて釈明会見に応じる斉藤 会見では「わたし、たくさんのあやまちを犯してます」という発言が。(「週刊明星」1991年5月23日号より)

その後、尾崎が妻に一方的に離婚を求めているなどの報道もあり、略奪婚も噂されたが、翌1992年4月、衝撃の結末を迎える。

尾崎が都内民家の庭で全裸で倒れていたところを発見され、その後肺水腫で急死してしまったのだ。享年26。斉藤は尾崎の死を聞き号泣したというが、2人の不倫騒動はこうして幕を閉じた。

だが尾崎の死から1年半、またしても斉藤は不倫騒動を巻き起こす。元ジャニーズアイドルだった川崎麻世との不倫が「フライデー」(1993年7月30日号)にスッパ抜かれたのだ。

この時最初に会見を開いたのは川崎のほうだった。怒りで仁王立ちする妻・カイヤが背後から睨みをきかせる中、不倫を全面的に認めて謝罪するという前代未聞の会見は、芸能史上に残る強烈なものだったが、斉藤もまた囲み取材に応じて不倫を認めた。

「私という人は、毎度こんな風になってしまうのかなと思いますけど、前の人とのことがあったにもかかわらず、学ばない人間なんだなと自分のことが悲しいです」

だが一方で川崎を妻から奪おうと思ったか否かを問われた斉藤は「そこまで熱烈に…そんな恋じゃなかったと思うから、そんな風に切羽詰まったものではありませんでした」と吐露している。ある意味、かなり素直でもある。当時はまだ世間も芸能人の不倫に対して、やや大らかな時代でもあった。

「会見を開き謝罪したこともあり、特に仕事を干されるわけでもなかったようです。批判の声は多かったが、中には同性の女性から擁護する声もあったほどでした」(前同)

斉藤は川崎との破局後の1994年には同じモルモン教徒の男性と結婚、3人の子どもに恵まれているが、結婚に際してマスコミのインタビューに応じた言葉はその恋愛観をよく表していて、興味深い。

「(結婚は)恋愛とは違いますからね」「信仰が軸となっている結婚だとは思います」(「サンデー毎日」1994年11月13日号)