このレースの核心を突いた坪井選手の言葉

高校以来、走ることのなかった坪井は、新しい職場への辞令を受けた翌年から、再び走り始めた。自ら挑み、勝ち取るものがほしくなった。そこに2012年の番組があった。2018年は選考会で不合格。気持ちを切らさず、2021年大会で念願の出場を果たした。卑屈な気持ちや、仕事のわだかまりも吹き飛んだ。そうしたものはすべて心から追い出し、100 パーセント本気で取り組まねばTJARとは向き合えない。

「そうでありたいという自分のラインから外れた時に心配をかけた同僚に、『あいつ、違う形だけども、もう1回輝きを取り戻そうと頑張ってるな』、そう思ってもらえれば」

【ヘルメット破損で危機一髪】メガバンク勤務の花形キャリアから39歳で挫折したエリート銀行員がそれでも極限まで過酷なレースに挑みたかった理由。「今までは勝算や確率を考えて、ダメそうならやめてきた。計算尽くの生き方なんて、もう嫌だ」_2
レース中の坪井選手

2021年、そう語りながらも、大会中止によって夢を果たせなかった坪井。

「今までは勝算や確率を考えて、ダメそうならやめてきた。そんなことでは、このレース、ゴールできる保証はない。こんな苦しいことを何回もやって、これだけ真剣に取り組めるなんて、自分は変わったなと。もう1回、これを目指して本当のゴールに辿り着けたら、自分はもっと変われるんじゃないか。いやあ、どうしてもあのゴールを見てみたい」

この言葉は、 2021年の番組の最後に置いた坪井の語りだ。これは選手たちの声であると同時に、21世紀の日本に生きるすべての人間たちの声でもあると、制作陣一同が感じた。

努力さえすれば何事も報われるワケでもないと痛感した2021年大会から1年。0・01パーセントでも可能性があるならと、トレーニングを続けた。踵をつけず、2リットルボトルを3つ入れたザックを背負って走るなどして、体幹を鍛え上げた。

2022年には54歳。勤務先では役職定年を迎える。毎年低下していくばかりの体力は経験や知識でカバーし、衰えるペースを緩やかにするしかない。一日一日、全力を尽くさないと、たちどころにダメになる。