「プロレス大賞」年間最高試合賞を獲得した一戦

この試合はデスマッチでは19年ぶりとなる、東京スポーツが制定する「プロレス大賞」で年間最高試合賞を獲得し、プロレス界の新たな歴史を葛西は築いた。

【風俗通いでHIV感染の「死」を覚悟】一度はあきらめたプロレスラーになり、「年間最高試合賞」も獲得した葛西純の生き様。「どうせ死ぬんだったらやりたいことをやって死のうと決意したんです」_5
「生きて帰ることがデスマッチ」

「伊東竜二戦がプロレス人生のターニングポイントになります。あの試合を経験して、それまでの自分の考えは幼稚だったと思い始めました」

そして、2012年に「生きて帰ることがデスマッチ」との信念が固まる。試合は、8月27日、後楽園ホールでのMASADA戦だった。自身がプロデュースした興行でデスマッチトーナメントを開催。戦前、葛西は「負けたら引退」を公約してトーナメントに臨んだ。結果、決勝戦でMASADAを破り生き残った。

このトーナメントを開催する5か月前、試合中に右膝の内側側副靭帯と前十字靭帯を断裂、半月板も損傷し、歩くこともできない状況に追い込まれた。肉体的にも進退でも窮地を乗り越えたトーナメント優勝でプロレス界に生き残った時、「生きて帰ることがデスマッチ」という信念が固まった。

「伊東竜二戦は、口に出さず自分の中だけでやめようと思った試合。このデスマッチトーナメントは逆でした。自分の中では引退したくないのに、負けたら引退しなければならない状況になって闘って、そして生き残りました。だから、あの試合が終わった時に『生きて帰ることがデスマッチ』という考えに完全にシフトチェンジしたんです」

背中には目をそむけたくなるほどの傷跡が刻まれている。生きているからこそ血を流し傷を負う。背中の傷跡は葛西にとって生きる証なのだ。

そして、今、葛西は、さらなるメッセージをリングから発している。

(#3へつづく)

壮絶な傷跡が生き方を物語るプロレスラー葛西純の写真集(すべての画像を見るをクリック)

「世の中には、生きたいのに死んじまうヤツがゴマンといる。死んでもいい覚悟なんていらねぇんだよ」数えきれないほどの傷を負ってきたプロレスラー葛西純がデスマッチで闘い続ける執念_6
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#1 「死んでもいい覚悟なんていらねぇ」“デスマッチのカリスマ”葛西純が闘い続ける信念
#3 なぜ48歳のプロレスラー・葛西純の試合は人の心を熱くさせるのか?

取材・文/中井浩一   撮影/下城英悟