産直の危機。「消費者」は去っていった

取引先の生協などの組織は「測定器で測って(放射能が)出なければ扱います」と言ってくれた。福島を応援する雰囲気もあって、春と夏の野菜はよく売れた。

2011年10月に知事が福島県産米の「安全宣言」をした1カ月後、農家が自主的に測った米から1キロあたり630ベクレルのセシウムが検出された。

検査はザルではないのかという不信が高まり、福島の農産物は大打撃を受けた。

大内さん一家が野菜や米を直接届けていた消費者も6割が離れていった。

「農業を守ろうとつながってきたつもりが、単なる『消費者』になっちゃった。顔の見える関係を大事にしてきたのに、と思うと本当につらかった」と督さん。

でも督さん自身も「自分が消費者だったら離れたかもしれない」とも思った。

【震災12年】2011年、放射能が降りそそいだ春「もう有機農業はできないのでは…」絶望した息子と勝負に出た父「“僕らが土を守ったよ”とほうれん草の声が聞こえた」_4
田植えを行う督さん
【震災12年】2011年、放射能が降りそそいだ春「もう有機農業はできないのでは…」絶望した息子と勝負に出た父「“僕らが土を守ったよ”とほうれん草の声が聞こえた」_5
畑からは安達太良山を望む

残った4割の客に野菜を届ける際には「放射能が未検出といってもゼロというわけじゃないんですよ」と説明した。

すると、「大内さんも食べてるんでしょ?」。

「はい」と答えると、「じゃあ大丈夫じゃん」と買ってくれた。

そんな経験を1年間続けてようやく農業を続けていく気になれたという。

「化学肥料や農薬をばんばん使うのが当たり前の時代におやじは有機農業を始めた。有機や無農薬に対するバッシングはすごかったはずです。

『負けてられっか!』という気持ちだったと思う。おやじたちはたくましい。僕らみたいに甘っちょろくないですよ」