結婚して90代の母親を安心させたくて…老後への不安や独身の寂しさから国際ロマンス詐欺に陥った60代男性の肖像
SNSやマッチングアプリで恋愛感情を抱かせ、金銭を騙し取る「国際ロマンス詐欺」。老後への不安や独身ゆえの寂しさから約640万円の詐欺にあった60代の男性は会ったこともない相手にどんな経緯で騙されてしまったのだろうか。(前後編の前編)
国際ロマンス詐欺の被害者たち#3(前編)
約640万円の詐欺被害
結婚したい––––––。
そんな切実な思いを抱える中高年層がいま、日本には溢れている。90代の母と2人で暮らす岡村久志(仮名、60代)もその1人だ。「このままいけば……」と考えると老後への不安は尽きることがなく、ふとした瞬間に孤独感に苛まれる日々を送る。そんなある日、マッチングアプリで青春時代のように心を揺さぶられる出会いに恵まれた。2020年の暮れことである。
それはまさしく純愛だった。
「本当に結婚がしたいんです。今までマッチングアプリでうまくいっていなかったから、今回はいい人が見つかったと思ったんです!」
そう語る久志がマッチングした相手は、40代後半の石井幸子(仮名)。日本人だ。プロフィールを見てみると、夫とはすでに死別しており、米国の大学院を修了したエリートのようだった。早速、メッセージを送った。

「石井幸子」と名乗るアジア系の40代の画像
「初めまして。こんな年齢になりましたが、本気で結婚しようと考えています。歳の差があることは十分、承知しています。『ちょっと気になるなあ』と思われたら、メールいただけるとありがたいです」
これでダメだったらアプリを近く退会する予定だった。すると幸子からはこんな返信が届いた。
「メッセージをありがとう。あなたは素晴らしい笑顔を持っています。私もあなたを知りたいです」
彼女からの返信は日本語が少しぎこちなかったが、それは米国カリフォルニア州で育ち、日系アメリカ人だからだろうと解釈した。夫が亡くなったのは6年前で、新型コロナが流行する前に日本へ戻ったという。職場は、大手商社と提携しているガス田の開発会社。すぐにやり取りの場がLINEに移り、久志は少し英語ができたため、そこからは英語でメッセージを交換した。
この出会いは久志にとって、一筋の光が差し込んだかのような瞬間だった。しかし、相手が国際ロマンス詐欺の犯人で、後に約640万円もの現金を騙し取られる被害に遭うとは夢にも思わなかった。
「国家試験合格」という呪縛
久志が結婚できなかった背景には、経済的な問題が大きな要素を占めていた。
「僕は受かると思っていたんです」
東京の有名私大医学部を卒業後、医師国家試験一筋で勉強に打ち込んできたが、何回挑戦しても悲願は成就しなかった。

試験を受け続けて歳を重ね、合格せずに挫折をしてしまえば、年齢や職種によっては人生の軌道修正や社会復帰をするのが困難な状況に陥る。それでも夢を諦めきれずに、一発逆転ホームランを狙ってひたすら走り続ける––––––。
諦めた時にはすでに30代半ばに差し掛かっていた。社会人としてスタートするには難しい年齢だ。その上、久志には「試験に受からなかった」という引け目が、その後の人生でも何かと胸につかえていた。
「学生時代の友達とかを見ると、医師になった人が何人もいる。だから受からない自分が格好悪くて。もはや人間じゃないとまで思っていました。そのせいで、異性に対する踏ん切りがつかなかったというか、出会いがなかったというか」
医師国家試験に合格することが人生のすべて。
その固定観念に縛られてきた久志にとって、医師を諦めることは人生の敗北を意味した。その道を外れた後、法律事務所などでアルバイトをしていたが、収入が十分でなかったことから、女性に対してはさらに奥手になっていた。ちょうど50歳になった時、知人の紹介で都内にある教育関係の会社に転職し、年収が800万円に跳ね上がった。高額収入を初めて手にした久志は、結婚相談所へ駆け込んだ。
「それまではお金がないから結婚できないと思っていたんです。髪結いの亭主は嫌だったので。自分は女性を食わせたい、養いたいっていうのが正しい生き方だと。だから単純に、お金がないと結婚できないですよ」
昭和的な価値観といえばそれまでかもしれないが、久志は結婚の条件として「自らの安定した収入」を念頭に置いていた。
「女心がわかっていない」と白髪染めを購入
これで独身生活とはおさらばできるかもしれない。
そんな期待を抱いて足を運んだ結婚相談所だったが、担当者からは開口一番、こうアドバイスされた。
「久志さん、髪を染めてください」

久志は難色を示した。
「髪を染めるのは嫌ですよ。素のままの自分がいいです」
素直な気持ちを伝えただけだったが、担当者からはこう言い返された。
「久志さん、それは違うんですよ。女性はあなたと同じ目であなたを見るのではなく、女性自身の目で久志さんを見るのです。その時に、実年齢はどうしようもないけど、女性は若い人を好む。そういうものなんです。あなたは女心が全然分かっていない」
結婚相談所を出た久志は、その足で薬局へ行き、白髪染めを買った。
久志が当時を振り返る。
「それぐらい僕の人生は社会との接点がなかったのです」
大学の同級生たちが早々と試験に合格し、あるいは大手企業に就職し、結婚して子供の成長を見届けるという人生の階段を駆け上がっていく中で、久志は試験に挑み続けた結果、長い空白期間ができてしまった。それを突然、埋め合わせようとしても、失った時間を簡単に取り戻すことはできなかった。
老後への不安や独身ゆえの寂しさ
転機は還暦を迎えた頃に訪れた。
会社での年収がそれまでの6割に下がった。60歳を超えたための会社の規定だ。時期を同じくして、地方の実家で一人暮らしをしていた母の面倒を見ることになった。久志は40年以上住み続けた東京から引き揚げた。

高校生の時以来、久しぶりの実家暮らしだ。
日本では2010年代、80代の親が長年引きこもる50代の子供を支える「8050」問題と呼ばれる家族形態が顕在化した。それが高齢化し、次第に「9060」問題へと移行している。久志は引きこもっているわけではないが、90代の母親と60代の子供の2人暮らし、という家族形態に変わりはない。
独身ゆえの、身を切られるような寂しさ。そんな行く末を憂えている時に、マッチングアプリを介して幸子と出会ったのだ。これ以上の巡り合わせはないだろうと、久志は彼女に飛びついた。
「1か月もしないうちに本気になりました。私のことを急に褒めてきて、自分を満足させてくれる男性に出会ったことがなかったけど、僕のような人は初めてだと」
その期待を裏切っては申し訳ないという誠実な思いから、久志は医師国家試験に失敗し、人生に挫折した過去を打ち明けた。収入が少なく、年金生活を送っている現実も正直に伝えた。早い段階で自分を曝け出したつもりだったが、続く返信は、そんな久志の後ろめたい気持ちを見事に払拭してくれた。
「悲しむ必要はありません。私はあなたと一緒にいたいです。私はお金のことを気にしません。すぐにでも会いたいです。いい夢をみてください」
高齢の母を気遣う〝優しさ〟
このメッセージが届いたのはクリスマスイブ。同日、久志はクリスマスを祝うために母と寿司屋に立ち寄り、そのことを幸子に伝えていた。すると日付が変わったばかりのクリスマス当日に、幸子からこんな温かい言葉が送られた。

久志さんと幸子との実際のやりとり
「メリークリスマス!私の愛する人。あなたのお母さんはあなたをとても誇りに思っているに違いありません。お母さんの笑顔でそれが理解できます。お母さんは今朝、お元気ですか? 彼女の気分が優れていることを願っています」
母のことまで気にかけてくれる彼女の優しさが身に染みた。以来、合言葉のように「How is mom?」と様子を聞いてくる。被害者の家族への気遣いは、ロマンス詐欺犯に共通する手口だが、そんな犯人側の“歪な親切心”をこの時は知る由もなかった。
久志が照れ笑いを浮かべながら回想した。
「何百回と聞かれました。僕の母のことをこんなにも心配してくれているのかと思ったんです」
話によると、幸子は新潟県沖のガス田開発のプロジェクトに携わっているため、建設された海上プラットフォームに勤めているという。その現場に3か月間滞在し、年を越して翌年1月下旬には新潟から離れるというのだ。
日を追うごとに、幸子からのメッセージには愛情表現が増していった。
「毎日、太陽はあなたを照らし、夜には月があなたを見守っています。私はその太陽や月のようになりたい。毎朝目覚める時と毎晩眠りにつく時、あなたのことを考えていたいと思います。たとえあなたが遠く離れていても、私の心は鼓動しています」
年が明けると久志はデジタル年賀状を幸子に送信し、正月の寒空の下で働いているであろう幸子の体調を心配した。幸子から現場を離れる日付が知らされ、対面がいよいよ現実味を帯びてきた。
「もし私が鳥だったら、あなたのところに飛んでいけるのに」
久志がそう気持ちを伝えると、幸子は返した。
「私が大切な人生を送るために必要なのはあなたの愛だけです。あなたの愛がすべてです」
幸子の声が聞きたくなった久志は電話をかけてみた。だが、「ネットワークが悪い」という理由でつながらなかった。その後も何度か試したが、いずれも不通だった。
海上プラットフォームにいるからだろう。
そう自分を納得させるしかなかった。
後編に続く
取材・文/水谷竹秀
ルポ 国際ロマンス詐欺 (小学館新書 452)
水谷 竹秀

2023年6月1日
1,100円
256ページ
978-4098254521
ナイジェリアでロマンス詐欺犯に直撃! ●被害者と詐欺犯の双方に迫った本邦初のルポルタージュ!●
SNSやマッチングアプリで恋愛感情を抱かせ、金銭を騙し取る「国際ロマンス詐欺」の被害が急増している。
なぜ被害者は、会ったこともない犯人に騙されてしまうのか。「お金を払わないと、関係が途切れちゃうんじゃないか……」。被害者の悲痛な声に耳を傾けると、被害者の心理に漬け込む詐欺犯の「手口」が見えてきた。
そして取材を進めると、国際ロマンス詐欺犯は、西アフリカを中心として世界中に広がっている実態が明らかになってきた。
著者はナイジェリアに飛び、詐欺犯への直撃取材に成功。彼らが語った、驚きの手口と倫理観とは――。
その被害者・加害者の双方に迫った、本邦初の迫真ルポ。
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