いつもそこに当たり前にあったお店が閉店してしまう。
メディアで紹介されるのは新店が中心。その一方でメディアに出てくることはなかなかないが、ずっと街に根差して営業している老舗というものがある。
どの街にも“街の象徴”のようなお店というものがあり、そういうお店はいつもそこに当たり前のように存在する。しかし、そういうお店の中でも時代の流れやコロナ禍の影響で存続が危ぶまれ、閉店・閉業に追い込まれるケースがある。
「千石自慢らーめん」。
さらば「千石自慢らーめん」! 背脂ラーメンの横綱が34年の歴史に幕
昭和生まれの名店が、時代の流れやコロナ禍の影響で閉店を余儀なくされることがある。背脂ラーメンの老舗「千石自慢らーめん」もそのひとつ。2022年7月31日をもって閉業する。日に日に迫る営業終了前に食べ納めで店を訪れた。
創業34年の歴史に幕

JR/都営地下鉄・巣鴨駅、都営地下鉄・千石駅からともに徒歩5分。1988年創業の、白山通り沿いにある背脂ラーメンの老舗である。この「千石自慢らーめん」が、2022年7月31日で閉業するとツイッター上で発表した。
「✳︎✳︎千石自慢らーめんより皆様へ✳︎✳︎
この度、千石自慢らーめんは、令和4年7月31日をもって閉業することとなりました。
34年間、多くのお客様にご愛顧頂き、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
残り短い期間ではございますが、最後まで、どうぞよろしくお願い致します。」(千石自慢らーめん(公式) Twitter 6月29日の投稿より)
このツイートには7702件のいいね、そして3635件のリツイート(7月13日現在)があった。7月をもって本店、西巣鴨店ともに閉店となる。かつては、鶯谷店、王子店もあったが、こちらはすでに閉店となっている。
“白山通り背脂御三家”最後の砦
背脂ラーメンは、歴史を辿れば「環七ラーメン戦争」が有名だ。
東京都道318号環状7号線・通称「環七」沿いに、1980年代後半から1990年代にかけて、多数のラーメン店が現れ、連日ラーメン店に向かうタクシーや乗用車がひしめき合っていた。代表的な店のひとつとして語られるのが背脂チャッチャ系の「土佐っ子」だった。
一方、90年代に白山通りにも名店と呼ばれるお店が集中して存在していた。特に「巣鴨ラーメン」「白山ラーメン」そしてこの「千石自慢らーめん」の3店は“白山通り背脂御三家”とも呼ばれ、多くの人々に愛された。
「巣鴨ラーメン」「白山ラーメン」は閉店し、この「千石自慢らーめん」だけが残っていた。
筆者が初めて「千石自慢らーめん」を訪れたのは約20年前の大学生の時。当時は立ち食いのお店で外まで長い行列ができていた。ラーメンが520円で、味玉が50円。目の前で豪快に10数杯を一気に作っていて、「1杯目と10数杯目の麺のかたさってどうやって調整しているんだろう?」と思ったものだ。

「土佐っ子」などに見られる背脂を上から振りかける背脂チャッチャ系と違い、「千石自慢らーめん」は醤油ダレに背脂を合わせ、その上からスープを注いでいる。背脂と聞くとギトギトのイメージが強いが、意外にもマイルドで食べやすく、しっかり作られたラーメンだ。
流行前から豚骨ラーメンで勝負していたお店の矜持
筆者は7月11日のお昼に食べ納めで店を訪れた。11時40分着で炎天下の中18人並んでいた。ここ近年はなかなか行列はできていなかったが閉店のニュースを聞いて多くのファンが集まっている。

店の前には閉店の案内と感謝の言葉がポスターで貼られていた。


ずっと気づかなかったが、看板をよく見ると「SHOW YOU TONKOTSU」と書いてある。

「醤油豚骨」と掛けて作られたスローガンだと思われるが、東京で豚骨ラーメンが流行る前からこのラーメンを出していた「千石自慢らーめん」の強い志の見える言葉だ。このラーメンを食べて豚骨や背脂の美味しさを知った人も多かっただろう。
食べ終えて店を出る時、ファンたちが口々に「お世話になりました」「長い間お疲れさまでした」と声を掛ける。
営業はあと半月。34年の歴史についに幕が下りる。
取材・文・撮影/井手隊長
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