給食が食べられる店があった

教職員でもない限り、大人になった私たちがあの学校給食を食べることはもうない。しかし、誰でも給食を食べられる店が渋谷にあった。『6年4組 渋谷分校』である。

静岡だけ給食のご飯がアルミパックだった理由は“パン屋”のせい! ミルメーク、ソフト麺、QBBチーズ…なつかしの給食メニューは今や?_1
店のエントランス。ランドセルを背負って写真撮影もできる
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エレベーターを降りると、そこは懐かしいものがぎっしり詰まった空間だった。黒板、ランドセル、大きな三角定規…。給食の周りに確かにあった風景だ。スタッフは「先生」というポジショニングで、ジャージを着ている。

案内してくれたのは自分よりもずっと若い女性だったが、6年生当時の自分の担任だった先生は新卒に近かったはずだから、同じような歳なのだと思う。まるで自分一人が昔の学校に、タイムスリップしたみたいだ。

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黒板や教習用のブラウン管が懐かしい。バケツはゴミ箱
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廊下には、個室の入り口に部屋名のプレート

店内は、教室を模した広間と「〇〇室」と名前の付いた個室に分かれている。私が通されたのは「音楽室」。巨匠の肖像画や学習プリントが掲示されている。

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今回利用した音楽室。無数の穴がある防音壁も再現

早速メニューを開くと、もう何年も口にすらしていない名前があった。