「俺の知ったこっちゃないから責任は自分で取ってくれ」と語る、ザ・スタークラブHIKAGEとファンの関係
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ザ・スタークラブのHIKAGEのストーリーもいよいよ最終回。前回は、急性心筋梗塞で倒れてからよりリアルに意識するようになった死生観についてお伝えした。今回のメインテーマは40年以上をともにするファンとの関係性について。(全4回の4回目)
表舞台に颯爽と現れたザ・スタークラブがいきなり投げつけた問題の曲
1980年代前半、インディーズで実績を重ねてきたバンドが、メジャーに移籍して発表する最初のレコード、中でもアルバムA面の1曲目は、ファンにとって特に重要な意味を持っていた。
いわゆるインディーズブームがはじまる直前であり、もちろんYouTubeどころかインターネットも何もなかったその時代。限られた販路でしか流通しないインディーズ盤にアプローチできる人は限られ、メジャーデビュー盤で初めてバンドの音に触れるとことが多かった。アンダーグラウンドな音楽シーンを取り上げる雑誌などを通し、バンドの存在は事前に知っていたとしても、メジャーデビュー盤のレコードに針を落として流れてくるその音が、バンドとの本当のファーストコンタクトになったのだ。
1984年、中学3年生だった僕は、高校生の兄が毎月買ってくる『宝島』などのサブカル雑誌を読み漁っていて、そこで知ったザ・スタークラブという気鋭のパンクバンドがメジャーデビューする日を楽しみに待っていた。
ファーストアルバム「HELLO NEW PUNKS」(1984年10月リリース)は、その兄が近所のレンタルレコード屋から借りてきたのだったと思う。

TシャツのメッセージはHIKAGEの生き方そのものだ。2023年6月24日の渋谷Spotify O-WESTのライブ。(撮影/円山正史)
A面1曲目。
のっけから畳み掛ける圧倒的な音圧のパンクサウンドと、ボーカリストのアジテーションが降りかかってくる。そして一発の雄叫びのあと、曲の本編がはじまった。『THE LAST RIGHT(最終権利)』という曲だ。その歌を聞いて、15歳の僕はぶっ飛んでしまった。
死にたくなったら死ねばいい 誰が手前に構うもんかよ
だらだら惰性で生きてるよりゃ 遥かに見栄えがいいかもな
どうせいつかは死んじまうのさ Here’s the last right
止めやしねえ止めやしねえ 知るくそか!
(『THE LAST RIGHT(最終権利)』 作詞・HIKAGE 作曲・LOU/アルバム「HELLO NEW PUNKS」収録より)
HIKAGEという人は昔も今も、発表した楽曲に込めた真意や意図について、決して多くは語らない。
「俺の曲を聴いておまえらが何かを感じたら、それはもうおまえらのもの」
「こっちは知ったこっちゃない。あとの責任は自分で取れ」
過去の取材でもたびたびこうした発言をしており、突き放すようにも見えるその姿勢こそが、HIKAGE流のファンとの対峙の仕方なのだ。ファンの心にできるだけ寄り添うことが理想と信じてやまないような、現在のエンターテインメントの本流とはまったく違う。
「人間は基本的に一人だっていう考えを、強く持っているんでね。昔から、他人と一緒にチームで同じ考えでやっていくというのが、すごく嫌いなんです。チーム全体としてではなく、まず一人一人が強くないとダメだと信じているんですよ。
昔、キャロルの人気がすごかった頃、原宿の連中がみんなキャロルの格好を真似していました。あるインタビューで、その状況をどう思うか聞かれた永ちゃんは『知らねえよ、そんなこと。そんなの責任取れねえだろう、俺が』って答えたんですが、すごく感動しました。本当にそうだよなって。俺の歌で人が何を考えようが、どう変わろうが、俺には関係ない。おまえの生活だろっていう思いを基本に、ずっとやってます」
そうすると、伝えたかった真のメッセージを曲げて捉えられ、批判・批評されることもあるのではないだろうか。世の表現者の中には、世間に誤解されると血相を変えて抗弁したり、真意を伝えようと発信を重ねたりする人もいるが、HIKAGEはそんなことすらもどうでもいいという。
「俺は平気だね。逆に『すげえな、そういう見方もあんの?』と、面白くなります。日本語はわずかに言葉の順序が違うだけで、まったく別の意味になったりもしますから。変なふうに捉えられても、それはそれで全然OK。昔からそういう人間なんで、パンクに向いていたのかもしれません(笑)」

「 自分のパンクアイドル! パンク歌詞の天才!」。HIKAGEについて、ニューロティカのATSUSHIはこんなメッセージをくれた。(撮影/木村琢也)
僕は今回のインタビューでHIKAGEに、初めて聴いてから39年目にして直接、あの「THE LAST RIGHT(最終権利)」に込めた真意を聞こうかとも思っていたのだが、やはりやめておいた。
中3の秋、レコードプレーヤーの前で僕は、明らかに気持ちがゾクゾクしていた。まるで自殺を礼賛しているかのような、その歌が正しいか正しくないかなんて、もはやどうでも良かった。学校の先生や親やテレビに出ている大人たちが決して言わないような、こんなにヤバいことを堂々と歌える人が世の中にはいるということを知り、気持ちが妙にたかぶったのだと思う。そして詭弁、強弁、逆説、アイロニーなんでもありの、自由なパンクという音楽に、本気でのめり込んでいった。
バンドのボーカリストに「知るか。勝手に死ね」と言われて、本当に落ち込むようなヤワなやつは、HIKAGE流に言えばパンクには向いていないのかもしれない。たとえ本気で死にてえなと思っていても、ステージに向かって中指を突き立ててツバを飛ばし「うるせえ! こっちだって、てめえに言われたくねえな。勝手に生きてやるよ!」というのが、パンクバンドとファンの正しい関係のような気がする。
ファンとともに年をとったシーン最重鎮のHIKAGEが思っている今後の在り方
1977年に走りはじめてから、HIKAGE率いるザ・スタークラブは一度も立ち止まったことがない。音源は毎年何枚もリリースされ、オリジナルアルバムだけ数えても通算35枚。マキシシングルを含むシングルを合わせると、通算50枚以上ものリリース数を誇る。ツアーで全国を駆け巡り、今も年間数十本のライブをこなす。
どうしてそんなことができるのかと尋ねても、HIKAGEは「慣れだ」とか「ただ作るのが好きだから」とそっけない答えを返すばかりだが、こんなことも語った。
「曲はいつも、作り出してから後悔するんです。最初に自分の頭の中にある時点で、ある意味、完成形だから。100点満点で、オリコンの1位が取れるレベルなんです(笑)。だけどそれを現実に作っていくと、どんどん点数が下がっていく。最初のイメージとずれてくることもあるし、技術的にできる範囲もあるからね。自分の歌もそうなんだけど、楽器は他人がやっているから、どうしても思い通りにはいかない。それで、リリースする時点では『出したくないな……』と思うほど後悔しています(笑)。
でも、だからまたできるんですよ。絶対に満足できないから。100点満点のまま完成しちゃったら、そこで終わりなのかもしれない」
ライブも同じなのかと聞くと、それはまた別のモチベーションに支えられているという答えだった。
「ライブは体力勝負ですが、本当に反復運動みたいなものなんで、常にやっている限りは続けられる。だから、もし1年も休んだらそのほうがヤバいと思います。ただし良いライブをやったあとは、まったく体力が減っていないんです。演奏がダメだった日は、無駄な力をすごく使っているので、疲れ切っているということはありますね」

「絶対に満足できない。100点満点のまま完成しちゃったら、そこで終わりなのかもしれない」(撮影/木村琢也)
――スタークラブはファンも50代が多いと思いますが、みんないまだに元気にダイブしたりしてますよね。
「自分もいい歳なんで、ファンが歳を取っていることに違和感はありません。でもダイビングとかは、『大丈夫かよ?』って思うんですよ。ライブハウスだから、警備の人がたくさんいる状況ではないし、気持ちはわかるけど『なんでそんなに無理するんだ』と心配になります。ファンのことなんてまったく気にしてないバンドもいるとは思うんだけど、俺は距離を取りながらもファンのことはいつも気にしてるから」
――HIKAGEさんが自分のやり方でファン大事にしてる感じ、よく分かります。
「今のスタークラブがあるのは、良くも悪くもファンのおかげなんでね。パンクスなんて、社会的に適合しない人もいっぱいいるけど、そういうファンも俺は否定しない。ある意味、そういうファンのせいで、スタークラブには怖いイメージがついているということもあるんだけど、逆にそのイメージのおかげで、俺たちはまだやれているということもすごく感じるんです」
――僕も54歳ですが、スタークラブのライブに行くと、どうしても最前列を目指してしまいます。
「けがしませんか? 気をつけて」
――ありがとうございます。大丈夫です(笑)。僕らにとってはスタークラブがパンクの初期衝動みたいなものですから、無理はしないけど『この曲がはじまったら、後ろで腕組んで聴いているわけにはいかない』と、一瞬で10代の気持ちになるんですよ。
「それがあるからね、パンクやロックは。浸っちゃうんだよね。俺はここ10年ぐらいずっと、周りの仲がいいボーカリストたちと、親父と呼ばれる世代が楽しめる場所をつくらなきゃダメだよなって話をよくするんです。ただライブをやるだけでは、ファンはいずれ来たくても来れなくなるから、もっと楽しめるようにつくり上げなきゃダメだと思うんですけど、これがなかなか難しいんですよ。例えば、ただのライブだけじゃなくてクラブ形式でやったり、いろいろな遊びの要素があった方が来やすくなるんじゃないかとか。
突発的なイベントでそういうのをやるんじゃなくて、月に2~3回とか定期的にあると、その人たちの居場所になるでしょ。客も体力勝負を強いられるライブだけではなく、いろんな形でパンクやロックの世界にいられるようにできれば、いくつになっても足を向けやすいんじゃないかなと思ったりするんですよ」
良い面ばかりではなく、パイオニアとしての苦労や悩み、そして行く末も多く語ってくれた今回のHIKAGEインタビュー。色々と考えさせられるものだった。
冗談めかして、「俺はリーダー向きじゃないんだ」「(遠藤)ミチロウさんが生きてくれてたら」などと語るHIKAGEだが、日本のパンクシーン、いや、ストリートロック界の最重鎮として、見事な生き様を示している人だなと、改めて思うのだった。
文/佐藤誠二朗

【プロフィール】
ヒカゲ/1959年生まれ、愛知県名古屋市出身。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成したザ・スタークラブのヴォーカル。
現メンバーは、HIKAGE(ヴォーカル)、TORUxxx (ギター)、HIROSHI(ベース)、MASA(ドラムス)。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成。後のインディーズ・ブームに先駆けて1980年1stミニ・アルバム発表。1984年、徳間ジャパンからメジャー・デビューするまでインディーズ・チャートを独走する。
1986年、ビクターへ移籍後、2003年にスピード・スター・ミュージック、
2004年にクラブ・ザ・スター・レコーズ、そしてノートレスとレーベルを移しながら、年ごとの新作発表及び全国ツアーと絶え間ない展開を現在まで続けている。
2023年、バンド結成47年目を迎える今も、止まる事なく走り続ける、唯一無比の日本のパンク・ロック・バンド。
公式X(旧ツイッター):@thestarclub
公式HP:ザ・スタークラブ公式HP