盛り上がりを見せる女子プロレス界で、華やかでユニークな選手が集まっている東京女子プロレス(以下、東女)。SKE48の荒井優希選手や、タレントの赤井沙希選手も参戦し、今、勢いに乗っている団体の一つだ。
東女の中でも、日本のみならず海外でも人気なのが伊藤麻希。元々は九州を中心に活動しているアイドルグループLinQのメンバーだったが、プロレス映えする度胸とマイクパフォーマンスを武器に、ベルトを持つ実力派レスラーに成長した。アイドルグループからのクビ宣告や、整形のカミングアウトにいたるまでのあれこれについて聞いた。

アイドルグループをクビ、整形、借金。伊藤麻希が女子プロレスラーになるまで
印象的な赤髪に、ポップなメイクでカメラに向かっているのは、東京女子プロレス所属のレスラー伊藤麻希。小柄な身体ながらも、団体が持つ『インターナショナル・プリンセス王座』のベルトを二度巻いた実力派レスラーだ。今回は、アイドルからレスラーへの転身、外見コンプレックスからの整形にいたるまで赤裸々に語ってもらった。

可愛くないからバラエティ担当と言われていた
――アイドルには元々興味があったんですか。
アイドルには興味はあったんです。中学校の頃は、周りから嫌われていたのであんまり学校に行きたくなくて、よく休んだり、早く帰ったりしていたんです。そんな時に唯一楽しいなって思ったのがAKB48の『AKIBINGO!』(日本テレビ)っていうバラエティー番組。それを見て、「私だったらもっとこういう返しをする」っていうリアクションをずっと考えていて。そこから、「もしかしたらアイドル向いているかも……」って思ったんですよ。
――伊藤さんが加入していたLinQは、九州を拠点に活動しているグループですよね。東京で活動するグループへの加入は考えなかったのですか?
福岡の田舎の出身だったから、福岡市でも自分にとっては大都会だったんです。だから「東京に行く」って選択肢がなくて「福岡で有名になったらすごい」って思っていました。
HKT48のオーディションを受けたんですけど、書類で落ちちゃって……。「どうしよう」って思っていたら、道でチラシを配っているLinQのメンバーに会ったんです。そこからLinQのオーディションを受けてメンバーになりました。
――アイドルから、レスラーになったきっかけは?
レスラーとしてデビューする前、DDTプロレスリングでバックダンサーとして、パフォーマンスをしたんですよ。ゲストとして行ったんですけど、DDTの代表である高木三四郎さん(注:サイバーエージェント傘下のサイバーファイトの代表取締役社長兼レスラー)からプロレス技を仕掛けられたんです。「売られた喧嘩は買うしかない」と思って、気づいたら高木さんにヘッドバッド(注:頭突き)をしていた。たったヘッドバッド一発だったんですけど、会場がうわーって湧いたんです。
アイドル時代には自分がソロパート歌っても、ひとつもコールもらえなかったのに、両国国技館が頭突き一発で盛り上がったんです! そこで「もしかしたらプロレスラーの方が向いているかもしれない」って。
――LinQでの伊藤さんは、どういったポジションだったと思いますか?
最初から「バラエティー担当で」って上の人から言われていて……。周りからも「おまえは可愛くないから、笑い担当で行けよ」みたいな感じで言われて、ショックでした。
――アイドルを辞めようとは思わなかったんですか。
正直そこからは自分にとって地獄でしたね。自分的には「正統派でいける」と思っていたから、まさかバラエティー担当とは思ってなくて……。「私は可愛くないから、お笑いをやらないといけないんだ」って思い込んで、その路線を目指すようになりました。

――LinQ時代のことをもう少し教えてください。
本当に人気がなかったんです私。ライブが終わったら個人別の列に並ぶサイン会があって、人気がダイレクトにわかるんです。「あの子は何十人並んでいるから人気があるぞ…」みたいな。私の両隣のメンバーの列はめっちゃ並んでいるのに、私だけ穴が開いているみたいになっていました(笑)。
――今の試合後の行列からすると、信じられない光景ですね。当時はどういう心境でいましたか?
ファンが来ないので何をしていたらいいのかわかんないんです。サイン会は2時間ぐらいあるので、一度、途中で昼寝しちゃいました(笑)。「私、何しているんだろうな」って悲しくなりましたね。
倒立ができなくて半年練習。
念願のレスラーデビューもバイトまみれの日々
――正式にレスラーとしてデビューしたのは?
練習生になったのが20歳で、デビュー戦は21歳になっていたと思います。練習生の時は、自分がレスラーとしてデビューするビジョンが全く見えてなかったんです。
――それはどうしてですか。
プロレスは受け身が大事なのですが、倒立ができないと、投げられた時の受身ができない。だから絶対に倒立だけはできないといけないんですね。でも私は倒立ができるまでに半年かかっちゃったんです。よくコーチから怒られてました。「それじゃいつまでたってもデビューできないよ」って。泣きながら倒立の練習をしていました。
――練習で一番きつかったことは?
そもそもプロレスが好きで始めたわけじゃなかったので、そこが一番きつかったですね。練習も楽しいと思えなかったから、身が入らなくて……。でもそのデビューしないままで終わるのは、福岡のみんなに恥ずかしい。このままだと顔も合わせられないと踏ん張れました。
――念願のレスラーデビュー、当時のことは覚えていますか。
実はレスラーとして本腰を入れるために東京に出てきた時が一番辛かったんです。バイトしながら、まだ辞めていなかったアイドルのレッスンも、プロレスの練習も全部やっていたんです。だから肉体的にはものすごくきつかったですね。
――当時はどのような生活を?
本当に朝から晩まで働いていました。ガールズバーのような夜系のこともやっていたし、昼間はパチンコ店でも働いていました。焼肉屋でもネカフェでもとにかく仕事ができず、面白いと思えず、バイトが続かなった(笑)。ただ、絶対にこの生活は終わらせてやろうと思っていました。

アイドルグループからの突然の解雇、整形。
伊藤麻希第2章は怖いもの知らず
――『闘うクビドル』というキャッチフレーズで、リングに上がっていたこともありますが、アイドル活動は自分から辞めたのですか?
アイドルは辞めていなかったのですが、活動は減っていて、ある日運営の方に「どうすんの」って言われて。「好きにしてください」って言ったら、音楽情報サイト『ナタリー』で「新生LinQ」みたいな記事が載っていたのに、メンバーに自分が入ってなかったんですよ(笑)。そこで知りました。もう周りが信用できなくなりました。
――整形手術を受けたことをカミングアウトしたこともありました。
自分の中では、“伊藤麻希”っていう人生が3章あるって思っているんです。
1章目は、アイドル時代で売れなかった伊藤麻希、2章目はリング上で整形をカミングアウトしたり、炎上ツイートもできちゃう伊藤麻希、そして今は海外でプロレスラーとして“maki ito”と呼ばれる3章目の伊藤麻希みたいな感じですね。
なのであの時は第2章の私です(笑)。
――第2章時代、ずっと借金があったそうですが……。
そうなんですよ。お金がないのに整形をするっていう。多分最高で7~80万ぐらいありました。
――そうしたすべてをリングでさらけ出すことには、抵抗はなかったですか?
それよりも「ネットニュースになったら面白いな」という風に考えていましたね。当時の私は「どん底代表」の自信があったから、みんなに私を見て頑張って欲しかったんです。
――ちなみに、どの箇所を…?
頬と顎下の脂肪吸引をしました。じつは脂肪吸引も、いくつかレベルがあるんですよ。安いのだったら30%、もうちょっとお金出せば50%取れるよ、みたいな。さらにもっとお金を出せば80%ぐらいは取れるって言われて、私は80%にしたんですね(笑)。あと小顔になれるっていうボトックス注射を通常の3倍の量でやっていました(笑)。
――副作用とかは?
一時的に顎の力がなくなるんで、ご飯とか噛めなくなりましたよ。でも整形をしたからって、すごく外見が変わるものじゃないんですよ。逆にそこまでやって、劇的に生まれ変われなかったからこそ、ありのままの自分を受け入れることができたって思いましたね。もう為す術がないので、はい。

取材・文/池守りぜね 撮影/二瓶彩
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