子どもの「やりたい」の気持ちを支える、安心して冒険できる居場所とは? 川崎市子ども夢パークの取り組みから考える。

子どもが安心して冒険できる居場所とは。『ゆめパの時間』重江良樹監督インタビュー【川崎市子ども夢パークに3年間密着】_4

夏休み、子育て中の方にとっては、安心して過ごせる子どもの居場所について、いつになく考える時間ではないでしょうか? 家でゲーム三昧だけでなく、ときには思いきり羽目を外して遊んでほしい。でも、ひとりでの川や山、海辺での遊びは万が一を考え、避けて欲しい。だからといって仕事や家事があり、一日中、子どもに目を光らせてはいられないし、見守りの大人を確保するのは大変。何より子どもの自立の精神を育むには、冒険の時間も必要。どうすればいいの?

ひとつの理想的な場所が、神奈川県川崎市にある「川崎市子ども夢パーク」、通称「ゆめパ」かもしれません。ここは2000年に制定された「川崎市子どもの権利に関する条例」をもとに、2003年、神奈川県川崎市高津区に作られた公設民営の施設。子どもたちの「やってみたい」という初期衝動を大切に、それを試せる自由な居場所として、約1万㎡の広大な敷地にはプレーパークエリア、音楽スタジオ、創作スペース、そして学校に行っていない子どものための「フリースペースえん」などが開設されており、乳幼児から高校生くらいまで幅広い年齢の子どもたちが利用しています。

公式ホームページには利用者への説明として、「夢パークでは子どもが「やりたい」と思ったことにチャレンジできるように、できるだけ禁止事項をつくらないで「自分の責任で自由に遊ぶ」ことを大事にしています。夢パークは子どもの「やりたい」気持ちを軸に毎日変わっていきます。子どもも大人も利用しているみんながつくり手になり、つくりつづける施設なのです。」とあります。

ドキュメンタリー映画『ゆめパのじかん』は、ゆめパでの子どもたちの過ごし方に密着し、子どものやりたいことをただの放任ではなく、最小限の手助けで実現させる、場作りに奮闘する大人や地域の人たちの姿を記録したものです。重江良樹監督は自宅の大阪から神奈川まで、ゆめパに週二回、約3年間通い続け、子どもたちのほっとしている時間に寄り添い続けました。重江監督は前作『さとにきたらええやん』では大阪市西成区の日雇い労働者の街と言われる釜ヶ崎で、40年近く、0歳から20歳までの子どもを障害の有無や国籍の区別なく無料で受け入れている「こどもの里」に通い、そこに通う子どもたちと家族の日常を映し出しました。

さて、日本政府は来年、こども家庭庁の設置法案とあわせ、「こども基本法」の基本理念として「すべての子どもが個人として尊重され、基本的人権が保障され差別的な扱いをうけないこと」「子どもの意見が尊重され最善の利益が考慮されること」などを掲げています。1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」を1994年に批准しながら、子どもの権利について包括的に定めた法律がなかった日本がようやく動き出す今、子どもの居場所を見つめ続けてきた重江監督にお話を伺いました。

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重江良樹(Yoshiki Shigee)
1984年生まれ、大阪府出身。大阪市西成区釜ヶ崎を拠点に、子ども若者・非正規労働・福祉などを中心に幅広く取材活動中。映像制作・企画「ガーラフィルム」代表。2016年公開のドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん』では全国で約7万人が鑑賞、平成28年度文化庁映画賞・文化記録映画部門 優秀賞、第90回キネマ旬報ベストテン・文化映画第7位。

やってみた、あかんかった。失敗から得ることは多い。

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──私の子どもはもう20歳になったのですが、小学校3年生の時、担任のベテラン教諭から、「学校でずっと好きな虫について話をしているが、大学生じゃあるまいし、もっとまんべんなく興味対象を広げるため、学校では虫について語らせないでくれ」と言われたことをきっかけに、その先生の顔を見ると嘔吐するようになってしまい、しばらく不登校になった時期があったんです。

あのとき、このゆめパのような場所があることを知っていればなあとしみじみ映画を観ながら思いました。重江監督は前作『さとにきたらええやん』でも子どもの居場所を題材にされていましたが、重江監督自身は子どものとき、理想的な居場所はありましたか?


「ここが自分の居場所だと思える場所がなかったから、こういう映画を撮っているのかもしれません。小さい頃はサッカーをやっていたんですけど、身体も小さいし、中学くらいになるとどんどん実力差が出てきちゃうから、自分の居場所ではなかったかなあ。子ども時代はゆめパにいるような大人たちと接する機会はなかったし、何だろうな、『大人は敵だ』みたいな考え方でしたね」

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──『ゆめパのじかん』の前半は、パーク内を思う存分、遊んでいる子どもたちの点描ですね。全身泥んこ遊びをする子どもの姿は微笑ましいし、ほぼ垂直に見えるベニヤ板を滑り落ちる子ども、かなりの高さからマットに飛び降りる子ども、もう地球の重力を利用した遊び方をしていて大笑いしたんですけど、他の公園だと「やってはいけません」と言われたり、「汚しちゃダメ」って怒る親御さんもいるだろうなあと思いました。特にダイナミックだったのが、自転車を滑り台からみんなで落としてみましたっていう遊び方。あれは他の公園では絶対にアウトでしょう。

「滑り台から自転車。あれは実験ですよね(笑)。いや、無理やろうなあと思いながら、でも、いま、滑り台、無人状態だから落としてみようみたいな。それでガッシャーンでしょう(笑)。あ、これ、やっぱ、無理だってわかる」

やって失敗して怒られる場所でなく、やってみたらと許される場所を

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──ゆめパで遊んでいる子どもの顔を見ると、全能感にあふれていますね。子育てしたときいつも悩んでいたのが、公共の場所で「これはダメです」「やっちゃいけません」「規則です」のルールの制限でした。大人の目が合っても、木登り、虫捕り、ダメな場所がほとんどで。

「『危ないからやめなさい』『だから言ったでしょう』。そういう失敗することさえも阻害されるというか。『やってみた、あかんかったあ』。そこから得る事って多いじゃないですか。やってはいけないと決められて、やって失敗して怒られるより、やってみたらと許される場所でやってみて、『どうだった?』と肯定的な眼差しの中での方が子どもって勝手に育つって僕は思っているんです。肯定的に認められることで、本来持ってる力を発揮して子どもは育っていくと思うので、ゆめパみたいな場所であるとか、そういう場を用意して安全に運営していく大人というのはもっと増えていかないと世の中は変わらないんだろうなとは思います」

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──火をつける作業に夢中の子供どもたちの顔がいいですね。私の住んでいる東京都にも自分で道具や知恵を使って自由に遊びを作る「プレーパーク」があちこちにあって、焚火にもチャレンジできるんだけど、実現できていないエリアは近隣の住民から賛同を得られないからだと聞いたことがあります。

「ゆめパも焚火に関しては、最初すごいクレームが近隣から来たそうなんですけど、でも、子どもたちのやってみたいという気持ちを守りたい、じゃあどうすれば焚き火ができるかということを近隣の方と話し合いをされたようで、最終的には曜日を決めてやりましょうとなったと聞いています。本当に一つ一つの項目を近隣の人と話し合っている。あと、大事なのは行事ですね。お正月の行事であるとか、映画にも出てくるお祭りとか、地域の人たちに役割を担ってもらって、一緒にゆめパを作っている。地域ボランティアの方たちによる運営委員会があるんですよ。

映画では、川崎市子ども夢パークの所長(当時)で、ゆめパの運営をしている認定NPO法人フリースペースたまりばの理事長である西野博之さんにあの場の大人を代表してお話を聞いています。実際、西野さんがいろいろやっているんですけど、でも、西野さんやゆめパのスタッフだけでなく、地域の方たちの場を作り続ける努力や時間がやっぱり素敵だなと思いますよね。行政だけじゃない、NPO法人だけじゃない。周囲の地域も同様に、子どもが安心して過ごせる居場所を作っているのがいい。いがみ合わずにね」

子どもが安心して冒険できる居場所とは。『ゆめパの時間』重江良樹監督インタビュー【川崎市子ども夢パークに3年間密着】_7

──木工制作の指導をしているボランティアのおじいさんがいるじゃないですか。あの方の姿勢が素晴らしいですね。子どもの設計図や、組み立て方が間違っていることがわかっていてもずっと黙って見守っていて、出来上がってから、ここがこうだろ、ってさり気なく指摘する。あれはなかなかできないですよね。私なんてせっかちだから、口が先に出てしまって。

「もともとご自身で建築関係の会社を経営されていて、どこかで知り合って、西野さんが連れてこられた方だそうですが、子ども達もそうだし、保護者の方たちにもファンが多くて、木工の制作で子どもたちを遊ばせている間に、お母さんたちも一緒に細かい木工の作業をしながら世間話をしているみたいな風景はたくさんみました」