「早く答えが知りたい」「近道がほしい」…タイパにこだわる人が絶対手に入れることができない「消費すること」で生まれるストーリーとは
大学、恋愛、結婚、子育てといった人生の節目に伴うイベントに対して「タイパ」や「コスパ」が悪いといった意見が散見されるようになった。だが、「私たちの消費の中心はどうせ“必要不可欠ではない消費”」だと消費文化論の専門家の廣瀬涼氏は言う。「タイパの本質」とははたしてなんなのかを探る。『タイパの経済学』 (幻冬舎新書)より、一部抜粋・再構成してお届けする。
『タイパの経済学』#3
SNSで加速するタイパ志向
時間は有限で、お金では買えない価値がある。また、そのお金も有限で、支出できる額には限度がある。
バブル期のように湯水のごとく浪費していた時代や、インターネットやSNSが普及する前の情報ソースや情報量と比較すれば、お金を使うことに対して消極的になるし、時間を消費したい対象も膨大だからこそ、保守的になっていく。
現代消費者が消極的になってしまうのは、お金にしても時間にしても「かけてみたけどつまらなかった」「役に立たなかった」という消費結果が出た際に、消費したことで「損が生まれた」と再解釈してしまい、「損しないこと」が消費を決定する際の大きな指標となってしまっているからだ。
あわせて、SNSは多様な価値観を可視化させ、以前では社会的に享受されなかった考えや思想、価値観も受け入れやすくなる土壌を生み出したが、従来の価値観に対して疑問を投げかけやすくもなった。
それにはいい側面もあるが、一方で従来の価値観にそこまで疑問を持っていない保守派のユーザーにも、拡散機能によってそのような投稿がリーチしてしまい、何の疑問も抱いていなかった自身の価値観やプライオリティに疑問を生むきっかけを作りかねない。
例えば「結婚はコスパが悪い」とか「大学に行くことはタイパが悪い」といった内容を影響力のあるユーザーが投稿して幅広くその価値観がリーチし、リツイート(現・リポスト)や「いいね」の数、コメント数などによって、多くの人がその考えに賛同しているように見えると、自分の考えはマイノリティ(少数派)のように思えてしまう。

Twitterでいえば、一般的に「バズった」とされる基準は、1〜3日の短期間で1万以上のリツイート数と「いいね」数を獲得するのが目安とされているようだが、実際そのような考えを持っている人が世の中全体のたった数パーセントだとしても、リツイート数が1万を超えていたら、「すごくバズってるな」「共感されているんだな」とそれが大衆の総意かのように錯覚してしまっても致し方ない。
SNS漬けの生活を送っていたり、SNSが情報ソースの中心になっていればなおさらだ。
大多数から共感されているという錯覚は、自身の価値観やプライオリティに疑問を生むには十分すぎる要因となるだろう。そのなかで、過剰にタイパやコスパが追求されることが美徳のようにSNSで扱われていたら、その対象への消費に対しても疑問を生むきっかけとなりかねないのだ。
本当に新しい価値観として腑に落ち、自身の指針となるのならばなんら問題はないが、「大多数がそう思っているから」「大多数がそうしているから」という理由で自分の価値観に疑問を生んでしまうことは合理的とはいえないだろう。
また、消費で損したくないという志向は「答えを早く知りたい」「近道が欲しい」という感情を生み、この感情は現代消費社会の潮流になりつつある。
本書で挙げたタイパの代名詞ともいえるファスト映画やネタバレ動画に限らず、人のレビューを探して購入を決めたり、Twitterのリプライ欄に溢れた誰かが投稿した補足情報を参考にしたり、YouTubeのコメント欄を見てハイライトや動画のあらすじを探そうとする。
人々は、そのような情報がそこに集約されていることを期待しているし、誰かがその期待に応えてくれることも知っている。そのような形で私たちは日常的に「まず答え」を求め、消費における失敗のリスクを避けようとする。
インスタントな共感
答えといえば、昨今では極端な成功例、極端なライフスタイルをあたかも汎用性のある正解かのように断言するアカウントが増えている。
彼らの成功を否定はしないが、あくまでもそれは当人が成功した1ケースにすぎず、その経験を無責任に他のユーザーに勧めているだけなのだ。
しかし、すぐ答えが知りたい、近道を知りたいと考える消費者が多いからこそ、そのようなアカウントに需要が高まり、タイパ志向の消費者に刺さる。
便利な情報が簡単に手に入る時代だからこそ、表面的なタイパだけを考えれば、素性の知らない自称インフルエンサーが加工した情報で十分かもしれないが、本来は信憑性や情報の品質、情報の真意など、「一次情報」からしか得られないことも多いはずだ。
しかし、それが汎用性があろうがなかろうが、その投稿者が本当にその領域で専門的な知識を擁していようがいまいが、労力を使わず、何かした気になれたり、何か知った気になれれば十分なのだ。
そこで労力を使わず情報が得られて、かつその情報が何かしらの近道や答えならば、タイパのよさを感じて、そのようなアカウントや情報の出し方が支持されてしまうわけだ。

また、さまざまなSNSの投稿で自身の感想や意見と同じような考えを持っている人がいないかを探し、共感や帰属意識をインスタントに得ようとしたり、違法アップロードの動画に対して「ありがとう」のメッセージとともに自分の意見を共有したり、著名人の訃報の投稿を見つければ、他人のお悔やみのメッセージを読みながら自身もその悲しみに浸る。
私たちは確固たるコミュニティに自身を帰属させなくても、「つながりうること」で生まれる共同性によって帰属心を充足することが可能となった。
日常生活のなかに突如として訪れるスポーツイベントやパーティーなどで瞬発的な盛り上がりを感じることが人々の集団への帰属心の源泉となっており、この瞬発的な盛り上がりを「カーニヴァル化」と呼ぶわけだ。
これほどまでにSNSが普及した社会では、このカーニヴァル化においても実体的な消費や移動、集いを伴わなくても、SNSにおけるインスタントな盛り上がりで、共感したり、感動したり、帰属心さえも充足できてしまう。人々の社会的な充足感すらもタイパの側面から垣間見ることができるのだ。
生きることはタイパが悪い
消費者の「損したくない」という価値観に対して、外部からの刺激が「答えを知りたい・近道が欲しいという需要の加速」「無駄なモノは悪」「情報の信憑性よりも大多数がそれを支持しているかを重視」という志向を強める。
昨今では前述したように、大学、恋愛、結婚、子育て、それに伴うイベントに対して「タイパ」や「コスパ」が悪いといった意見も散見されるようになった。
もちろん、一人で生きていけば、費用も時間も一人分で済むが、他人と生活することはコストがかかる。
また、大学をただの就活予備校として見るのならば、入社後の給与水準が昔よりも期待できない場合、しっかり働いて、しっかり稼いで、しっかり休むといった遠洋漁業のような働き方のほうがタイパがよく、大学に行くこともタイパ・コスパが悪いと判断されてしまっても致し方ない。
読者の皆さんも感じていると思うが、生きるということはそもそもタイパやコスパが悪いことが多い。しかし、だからこそ予測不可能な連続性をこなしていくことそのものが人間らしさであり、生きていく業であると考える。
もちろん、このような考えが持てるのは自身が生理的にも精神的にも満たされているからであり、さまざまな理由でそのような境遇に現在身を置いていない人にとっては、このような考えこそ綺麗事であるということは十分に理解している。
一方、お金さえかければ、私たちの身の回りにあることはたいがい効率化でき、道具的価値や機能的価値に支出することで、自身の労働を道具やサービスに委託することができる。
時間に追われた生活のなかで、時間を短縮できたり、労力を省けるならば、大いに活用し、可能な限り自分のための時間を作るべきである。

また、「○○の状態になること」を目指したり、「したつもり」になったり、「ファストな経験」を求めたり、他人に何者(オタク)であるか示すことに注力するなど、交流的価値の追求においては「じゃないモノ」が消費される。それらは主体性を持って消費をしないからこそ、タイパが求められているのだ。
これも、ファスト映画などの著作権を侵害した違法な行為を除けば、彼らの目的は消費による直接効用ではなく、それぞれの目的を達成するうえでの手段なのだから、そこに愚直に時間やコストをかけずにタイパを追求し、その時間の余剰が自分のため(精神的充足につながる消費)に使われれば、時間を短縮したことに意義が見出せる。
しかし、労力の時短にせよ、「じゃないモノ」の消費にせよ、何をどれだけ、どのように、どのくらいのコストをかけてタイパを追求するかは、その人の経済力、時間の余剰、自身の身体的能力など、その人が身を置く環境(状態)と、その人がその消費に対して「タイパ」を追求する必要性を見出しているかどうか、という2つの要件が関わってくる。
洗濯機を使わずに洗濯することも、ダイエットにじっくり時間をかけることも、もともと興味がないドラマを勧められても時間をかけて全話視聴することも、それに対してどの程度尽力するのか、どの程度効率化を目指すかのイニシアティブは常に消費者側にあるのだ。
言い換えれば、タイパやコスパの追求も消費者側に決定権がある。
だからこそ、オタ活で興味対象全般を消費するのではなく、手間やコストを省くこともあれば、節約した分ライブに直接足を運び、そこでその瞬間を満喫するという決定もする。
また、前述した通り、譲れないモノに関して、私たちは消費プロセスを含めて大事なモノである(特別視している)ということを意識し、その消費から生まれるストーリーを大切にしたいのだ。
誰のためにタイパを追求するのか?
私たちは、「無駄な時間を削減したい」と思うときと、「過ごしている時間を少しでも長引かせたい」と思うときがある。
東京-大阪間を移動する際、鈍行を使っても、新幹線を使ってもその目的は達成できるが、移動という無駄な時間を省けば省くほど余剰が生まれ、他のことにその時間を使えるようになる。
一方、旅行や休日、好きな人とのデートや睡眠時間に至るまで、自分にとって心地のよい時間に対しては、「この時間がもっと続けばいいのに」と時が進んでいくことを恨む。
社会学者の鈴木謙介は、このような消費に関わる時間のうち、消費者にとって無価値な時間をできる限り減算することで時間の価値を高めることを「減算時間価値」、価値のある時間をできる限り加算することで時間の価値を高めることを「加算時間価値」と呼んでいる。
家事や労働を効率化するタイパや、ある状態になるために行われる「じゃないモノ消費」に対するタイパの追求は減算時間価値の追求で、必要不可欠ではない消費のなかでも「モーメント消費」や精神的充足につながるオタ活などの消費は加算時間価値の追求といえるだろう。
その時間を減らしたいか、増やしたいかというだけの単純な話のはずなのに、精神的価値とあわせて社会的な充足感を追求する私たちは、情報共同体で生きていくために情報強者にもなる必要があり、「じゃないモノ消費」をするために、本来は加算時間価値の対象であるモノについてもタイパを追求してしまうのだ。

残念ながら、手元にいつでも大量の情報を追いかけられるデバイスがあるため、人とつながるための情報を常に貪ることができてしまう。
そのせいで、大事な人と一緒に時間を過ごしているその瞬間にさえ、その人の顔ではなく画面を見つめている。孤独にならないために情報を取得しているはずなのに、その情報を収集するために孤独になっているのである。なんとも非合理的ではないだろうか。
また、タイパやコスパなどによって、効率化や省力化が強く意識されるようになったが、そこで省力されたモノ(時間・お金)は、自分にとっての精神的充足に使われるべきで、決して「じゃないモノ」を消費するために、「じゃないモノ」を効率化することは合理的とはいえないはずだ。
私たちは、その省力されたモノで、最高の瞬間にお金をかけたり、大切な人と過ごす時間を増やしたり、じっくり自分の好きなモノと向き合うために使いたいのではないだろうか。
もちろん前述した通り、人生におけるさまざまなライフイベントや大切な人との時間は、タイパやコスパが悪いように見えるかもしれないし、実際にSNSによってそう考えている人(そう錯覚した人)が多くいるように見えるかもしれない。
しかし、どんなにそれっぽい理由が並べられていても、イニシアティブを持っているのはあなただ。
じっくり恋愛したければすればいいし、一人でいるよりタイパやコスパは悪いかもしれないが、結婚や子育てによってかけがえのない家族や思い出を作ることができる。
結婚式だってたった数時間で終わってしまうかもしれないが、小さいころからの憧れなら、人生をかけてやってみたかった夢が達成できるわけだし、可能な限り自分の理想を追求するべきだと思う。
「その消費って何の役に立つの?」とその消費が生み出すモノ(結果)に対して実益を求めすぎる者もいるが、私たちの消費の中心はどうせ「必要不可欠ではない消費」ばかりだ。
だから、「大学行ってどうするの?」「結婚式を挙げて何の意味があるの?」と他人から消費したことで得られるモノの答えをすぐに求められることを気にしたり、目先の費用対効果や他人の価値観に振り回されることは、「誰のためにタイパを追求するのか」、はたまた「誰のために消費する(生きている)のか」という話そのものなのだ。
自分にとって精神的充足になるならば消費すべきだし、自分にとって大事なイベントや叶えたい夢ならば他人にどう言われようが追求すべきだ。
そのような消費を増やすために、「じゃないモノ」への消費を効率化することこそが、現代消費社会におけるタイパ追求の意義であると筆者は考える。
文/廣瀬 涼 写真/shutterstock
『タイパの経済学』 (幻冬舎新書)
廣瀬 涼 (著)

2023/9/27
¥1,056
232ページ
978-4344987081
なぜ異常なまでに時間に囚われるのか?
●動画はとにかく「短く」
●スポーツ・映画は観ない
●スキマ時間がなくなった
●いますぐ「何者か」になりたい
●居場所はSNSにあればいい
●同時に4人以上と連絡をとり、1週間以内にデートの約束
●所有しなくてもサブスク、シェア、メルカリで十分
●大学生の生活費が30年で4分の1に
●「やったつもり」になれる市場の拡大
●「オタク」は付け替え自在な“タグ”になった
……「とにかく失敗したくない」Z世代の消費行動のナゾを解く!
Z世代など若者を中心に、コスパならぬ「タイパ」(時間対効果)を重視する価値観が当たり前となった。
時短とは異なり、「限られた時間でより多く」「手間をかけずに観た(経験した)状態になりたい」という欲求が特徴で、モノやコンテンツをコミュニケーションの“きっかけ”や“手段”ととらえているという。
その背景にはサブスクの普及、動画のショート化、不景気などの環境変化と、「時間を無駄にしたくない」「いますぐ詳しく(=オタクに)なりたい」といった意識の変化がある。
もはや彼らは純粋に消費を楽しむことはできないのか?
一見不合理なタイパ追求の現実を、気鋭の研究者がタイパよく論じる。
第1章 タイパの正体
第2章 「消費」されるコンテンツ
第3章 Z世代の「欲望」を読み解く
第4章 タイパ化するマーケット
第5章 タイパ追求の果てに
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