
池田屋事件で20数人相手に立ち回っても刃こぼれしなかった新選組・近藤勇の愛刀「長曽祢虎徹」。最上大業物に数えられる斬れ味でー。 「今宵の虎徹は血に飢えている」
幕末、京都守護職のもと都の治安を守っていた新選組は、尊攘(そんじょう)派志士が会合を行う池田屋を急襲。局長・近藤勇をはじめとする新選組隊士の活躍で尊攘派は多くの志士が死亡、または負傷した。このとき近藤勇が手にしていたのは、武蔵の名工・長曽祢虎徹(ながそねこてつ)の刀だったとされる。近藤の所持した虎徹は長く偽物だといわれてきたが、近年ではむしろ真作を持っていたとする説が有力になってきたともいわれている。
『日本刀が見た日本史』より 長曽袮虎徹(ながそねこてつ)×池田屋事件 1864年
近藤勇が池田屋へ向かう
幕末、京の市中で尊攘派志士から恐れられた警察組織があった。京都守護職会津(あいづ)(福島県会津若松市)藩主・松平容保(まつだいらかたもり)配下の新選組(新撰組とも)だ。その名を一気に轟かせた事件が、池田屋事件である。
文久三(1863)年に起きた八月十八日の政変(会津・薩摩(鹿児島県)両藩などが長州(山口県)藩を中心とした尊攘派を京都から追放したクーデター)の際、七卿(しちきょう)とともに長州に敗走した親兵隊総監の宮部鼎蔵(みやべていぞう)は、その後、公武合体を推進した中川宮朝彦(なかがわのみやあさひこ)親王と容保の暗殺を企てた。
この宮部らの不穏な動きを察した容保は、新選組に市中見回りを命じた。しかし、宮部の所在は杳(よう)としてつかめなかった。翌元治元(1864)年6月5日の早朝、新選組は宮部の潜伏先をつかみ、四条小橋西詰で道具商を営む桝屋喜左衛門(ますやきざえもん)宅を襲い、喜左衛門を壬生の屯所(とんしょ)に連行した。

写真/shutterstock
厳しい拷問によって喜左衛門こと尊攘派志士の古高俊太郎は、宮部らによる陰謀を自白した。それによると、宮部ら尊攘過激派は6月24日前後の夜に京都市中に火を放ち、参内するはずの中川宮や容保を討ち、さらに佐幕派の大名や公卿を殺害した後、天皇を奪って長州に連れ去る計画だった。
その後、内偵によって池田屋か四国屋で宮部らが会合することがわかり、新選組はただちに出動し、祇園会所(ぎおんかいしょ)で会津藩の援軍を待った。しかし、約束の午後8時になっても援軍の姿は見えない。すると、新選組局長・近藤勇は襲撃を決断し、副長・土方歳三以下28名を四国屋に向かわせ、残りの5名を率いて三条小橋にある池田屋へ向かった。
偽物と疑われた近藤の虎徹
池田屋に踏み込んだ近藤が「御用改めである。主はおるか!」と大声を響かせると、主人の惣兵衛は二階に集まっていた志士たちに「御取調べにございます!」とこれまた大声で叫んだ。
この夜、二階では宮部ほか長州藩士・吉田稔麿(としまろ)、土佐(高知県)脱藩浪士・北添佶摩(きたぞえさつま)、土佐藩士・望月亀弥太(もちづきかめやた)など20人以上の尊攘派志士が会合していたが、新選組の急襲で大混乱に陥った。のちに、土方や会津藩の藩兵も駆けつけ、尊攘派は宮部や北添・望月ら多くの志士が死亡または負傷した。
この池田屋事件で近藤が振るった刀が「今宵の虎徹は血に飢えている」という決め台詞で有名な武蔵国の刀工・長曽袮虎徹の刀といわれている。虎徹の来歴ついては諸説あるが、もとは甲冑(かっちゅう)の鍛冶だったという。
しかし、五十歳前後に刀工に転じ、以来、その斬れ味に定評があり、業物位列(わざものいれつ)(斬れ味の位付け)では最も斬れ味が良いとされる「最上大業物」に格付けされている。

「刀 銘 長曽祢虎徹入道興里」(ながそねこてつにゅうどうおきさと)
近藤勇が所持した虎徹は現在行方不明。これは同じ刀匠・長曽祢虎徹による作で、反りが淺く、身幅の広い虎徹らしい姿だという
このため虎徹の刀には虎徹の生存中から偽物が多数出回り、刀剣鑑定家は「虎徹を見たら偽物と思え」と自戒したという。そこで、近藤が愛刀とした虎徹についても、昔から偽物説が唱えられている。
近藤が虎徹を入手した経緯についても諸説あるが、一説に江戸から上洛(じょうらく)するにあたって刀剣商から購入したという。ところが、その刀剣商はなかなか虎徹の刀を調達できず、源清磨(みなもときよまろ)の刀を削って虎徹の偽の銘を切って近藤に渡したという。
偽物説の根拠の一つが、虎徹の値段だ。虎徹の刀は高価で、近藤の身分で購入できるようなものではなかったともいわれる。また、同じ新選組の幹部だった斎藤一は、のちに自分が古道具屋で購入した刀(無銘)を近藤に贈ったところ、近藤は「虎徹に似ている」言って気に入っていた、と証言した。しかし、近年、近藤が所持した虎徹は真作だったとする説が有力になってきたともいわれる。
鳥羽・伏見の戦いに敗れる
近藤の虎徹が真作であったか贋作であったかは定かでないが、この刀が名刀であったことはまちがいない。なぜなら、池田屋事件の後、尊攘派志士と闘った隊士の刀の刃は曲がったり刃こぼれしたりした。ところが、近藤の刀だけは刃こぼれもなく、鞘にすっと納まったという。
池田屋事件で新選組は天下にその威名を鳴り響かせた。事件後、近藤以下新選組の隊士全員が幕府から幕臣に取り立てられた。だが、新選組はこのときが最盛期にあった。その後、孝明天皇が崩御すると、一気に討幕運動が広まった。
池田屋事件によって尊攘派志士の多くが犠牲になったことで、逆に幕府に対する反発が高まったという見方もある。つまり、幕府存続のために尊攘過激派の陰謀を未然に防いだ池田屋事件だが、それがかえって幕府崩壊を速めることになったのだ。

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江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還し、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発すると、新選組は旧幕府軍として参戦するが、薩摩軍の砲撃を受けて多くの犠牲者を出した。旧幕府軍は大敗し、新選組は海路を江戸に帰還。
近藤は官軍の東山道軍(ひがしやまどうぐん)を迎撃するため、甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)を組織し甲州(山梨県)に出兵した。しかし、近藤は敗走し、八王子(東京都八王子市)まで落ち延びた。その後、流山(千葉県流山市)で投降。
慶応四(1868)年4月25日、板橋宿(東京都板橋区)で斬首となったが、その際、近藤は「虎徹で斬って欲しい」と願い出たといわれるが、その願いはかなわなかった。
文/刀剣ファン編集部
長曽祢虎徹写真/国立博物館所蔵品統合検索システム
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/E%E7%94%B2312?locale=ja
『日本刀が見た日本史 深くておもしろい刀の歴史』
刀剣ファン編集部

2022/2/27
1,980円
168ページ
978-4635823661
主な内容
1章 古代~室町時代
神話時代の日本刀/蝦夷征伐(坂上田村麻呂の刀)/一条天皇と三条宗近/平将門の乱/源平合戦(薄緑丸)/承久の乱と後鳥羽上皇/蒙古襲来と相州伝の勃興/ほか
2章 戦国時代~江戸時代
川中島合戦/桶狭間の戦い/姉川合戦/中国攻め/長篠合戦/本能寺の変/小田原征伐/朝鮮の役/関ケ原合戦/徳川幕府誕生/明暦の大火/赤穂事件/享保の改 革/池田屋事件/寺田屋事件
ほか
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