危機の時代を文学から読み解く_1
『「鬱屈」の時代をよむ』(集英社新書)
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テレビのニュースをつけるたび、新聞を開くたび、降り出す前の空に垂れ込める雲に目の前をふさがれているような気持ちになる。感染症の流行、戦争、自然災害――この「気持ち」を表すのに著者は「鬱屈」という言葉を選択した。

日々生まれる「気持ち」や「感情」。それらは「うれしい」「悲しい」「楽しい」「苦しい」といった言葉で表現されることもあれば、既存の言葉ではしっくりこない、一語には収まりきらないこともある。逆にいえば「気持ち」や「感情」を精確に言葉にしたいと願うからこそ、辞書にない新しい言葉や用法が生まれ、ときには「言葉にならない」といった表現が口をつくのではないだろうか。

人が「言葉にならない」ほどの思いをどのようにして言葉にしてきたか。それを著者は過去の文学作品や辞書に見出していく。ここでいう「過去」はおよそ100年前の日本だ。感染症の流行、戦争、自然災害が立て続けに襲った時代――と聞けばまるで現代のことのようだが、スペイン風邪、第一次世界大戦、関東大震災と、100年前の日本もいまに劣らぬ鬱屈のただ中にあった。

疫病や戦争、災害などの未知の事態は、常にもまして新たな言葉や表現を要請する。それが人々の気持ちや感情をぴたりと捉えていれば広く使われるようになり、やがて辞書に採録される。著者は1918年初版の『新らしい言葉の字引』(実業之日本社)から「雰囲気」の語釈を示す。

「地球又は天体を包む空気をいう。転じて或るものの周囲の空気、或るものを包んでいる気分、感じ、情調などを意味する事となった」

いまでこそ「空気を読む」というときの「空気」の意で「雰囲気」を使うことは当たり前になったが、もとは「大気」を意味する訳語(学術用語)だった。それが「気分、感じ、情調」を表現したいという人々の欲求を受けて、新たな用法を得たということだろう。

2000万人を超える感染者を出したともいわれる流行性感冒と、世界規模の戦争が同時進行した時代に人々を包んでいた「気分」。それが文学作品の中でどのように描かれたか、著者は疲れを知らない昆虫学者のように言葉の森を歩き回り、数々の例を採集してくる。ひと口に100年前の文学作品といっても膨大な量だ。それらに目を通し、「鬱屈」を表現した例を集め、読み解くにはどれほどの労力が求められるのだろう。

「読む」とは「文字・文章などを見て内容を理解する」(『三省堂国語辞典』)だけではない。「〔変化する現象をもとに〕見とおす」(同)ことでもある。私たちはどんな時代に生まれてくるかを選ぶことはできない。その意味で常に「巻き込まれている」「渦中」の存在だ。

渦の中に引きずり込まれ、どうにかして水面に顔を出そうともがいているときに、冷静になれといわれても限界がある。だから著者は100年前に「鬱屈」の渦中にあった人々を観察することで、「いま」の鬱屈から抜け出る見通しを得ようとしたのだろうか。

「言語化」とは「事態をどうとらえるか」ということであり、まだ形を与えられていない感情や気持ちを「自分自身との対話」の中で探る試みでもある。一方で、言語化が自分の内側ではなく外部へと向かう場合がある。

「他者に対しての配慮を欠」いた「過剰ともいえる気持ち・感情」の言語化は、しばしば「言語であることを超えて他者に対しての攻撃的な『行為・行動』」となってしまうと著者は指摘する。SNSにおける言葉のやりとりが、ときに一方的に投げつけられる礫となって人を傷つける様が想起される。

「過剰ともいえる気持ち・感情」はどのようなときに生まれるのだろう。関東大震災を経験した詩人たちは「人類」「人間」「人人」といった主語を用いた。東日本大震災の後に詠まれた詩にも「人類」は姿を見せている。感染症の流行のさなか、「人類がコロナに打ち勝った証」と口にした政治家もいた。危機にあるとき、主語が拡大され、叙情をかき消すような大仰な言葉が選ばれやすくなるのは仕方のないことなのかもしれない。

この3年間をふり返ってみれば実感されるように、危機は人を鬱屈させる。行き場をなくした気持ちや感情が膨れ上がり、空気を入れすぎた風船のように、迂闊に触れれば大きな音を立てて破裂しかねない。風穴を開けることはできるのか。

江戸時代の国学者富士谷御杖(ふじたに・みつえ)は「和歌によって『鬱情』をはらすということを唱えた」そうだ。「やむにやまれぬ気持ちを和歌に託」すことで「心身や事態の『破綻』を未然に防」いだのだという。現代においては和歌に限らず詩や俳句、小説、日記、あるいはブログやSNSへの書き込みであってもよいのだろう。ただ、気持ちや感情に形を与える行為が、くれぐれも他者への攻撃ではなく、自分自身との対話であってほしい。

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