いきなり絶体絶命!
冷たい雨は豪雨となり、横たわる身体を濡らす。闇夜を吹きすさぶ風は轟音とともに容赦なく体温を奪ってゆく……。
このままだと低体温症になって命すら危ういのではないか。そんな不安を覚えて咄嗟にタープの下へ移ろうとするも、なぜか全身が金属になったように指先ひとつ動かすことができない。
もしかして、これがいわゆる金縛りなのだろうか。だとしたら人生初だ……。
しかし、初めて遭った直接的な心霊現象に感動を覚えている場合ではない。豪雨で全身が冷えきり、すぐに温めなければ命を落としかねない状況である。まったく最悪のタイミングで“人生の初体験”を迎えたものだ。
この地で命を落とした将兵たちも、動くことさえできないような猛吹雪のなかで、今の自分と同じような絶望を味わったのだろうか。冷たい雨風に爪先の感覚をじわじわと奪われていくにつれ、いままさに寝転がっているこの場所で起きた日本山岳史上最悪の遭難事故における犠牲者たちの苦しみが、現実感を伴って眼前に迫りくる想像を止められなかった。
日本山岳史上最悪の遭難事故
2021年9月某日、私たちは青森県中央部にある八甲田山を訪れていた。ここが青森県最恐の心霊スポットだからである。それは、明治期に八甲田で起きた大規模山岳遭難・八甲田雪中行軍事件の舞台ゆえだ。
1902(明治35)年1月、日本陸軍は冬季寒冷地における行軍の訓練として、青森歩兵第五連隊210名を青森連隊駐屯地から田代温泉方面へ送り出した。出発直後は順調に進んでいたが途中で天候が急変。本来ならば帰営すべきところ、猛吹雪にもかかわらず行軍を強行し、多数の死者を出した。
1日目の晩は平沢の森で露営するも天候は回復せず、夜中を過ぎてようやく帰営を決定して出発するも、連隊は鳴沢の峡谷へ迷い込み、遭難。さらに沢を下った挙句、本流である駒込川に出て鳴沢を登り返すなど、猛吹雪のなかをひたすら彷徨い続けたため次々と隊員が命を落とした。
結局2日目も状況は好転せず、その日の晩は鳴沢の上流部の窪地で露営したものの、凍傷と体力低下によってここでも多くの隊員が凍死。この第二幕営地が、本事故においてもっとも壮烈な場所だったといわれている。
なお、その後も出発から約1週間後に救援隊が到着するまで第五連隊の将兵たちは彷徨い続け、合計199名が命を落とした。