今回のゲストはタレントの大久保佳代子さんです。大久保さんは光浦靖子さんとお笑いコンビ『オアシズ』を組み、テレビ番組『めちゃ2×イケてるッ!』(フジテレビ系、以下『めちゃイケ』)のOLキャラでブレイク。現在相方の光浦さんはカナダへ留学中ですが、気持ちいい毒舌と、ちょっとしたエロスを感じさせるコメントが笑いを集め、今やテレビで見ない日はないほど人気の存在です。
大久保さんが雑誌『Marisol』(集英社)で連載していたコラムを一冊にまとめた著書『まるごとバナナが、食べきれない』(集英社)が10月に発売されました。連載開始時は40代だった大久保さんも50代に突入。人生を“食”の記憶と共に遡るエッセイでは、幼少期からOL時代、売れっ子芸人になるまでをユーモアたっぷりのエピソードとともに綴っています。
本の中でも描かれていますが、「まさか自分がお笑い芸人になると思わなかった」と話す大久保さん。前半では、芸人になるルーツともいえる高校時代の体験、『オアシズ』で先にブレイクした光浦さんへの思い、30歳の節目で出演した『めちゃイケ』と共に駆け抜けた18年間を振り返ります。30代の恋愛とお笑い、そして大久保さんが考える「求められる」仕事論とは。(この記事は全2回の1回目です)
夢は獣医さんの小学生、『ドリフ大爆笑』『ひょうきん族』でお笑いにハマる
大久保さんは、愛知県の南部にある渥美半島生まれ。製造業の父親、パート勤めの母親、兄という4人家族に育ちます。毎日規則正しく真面目に働く父親、おおらかな母親、どちらも特に厳しいことはなく、礼儀や挨拶をきちんとしろと言われるくらいで、のびのびと育てられたと言います。小学生の頃の夢は、獣医さんでした。
「当時テレビで放送されていた『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』の影響ですね。ひよこ、ニワトリ、犬、いろいろ飼っていました。それこそ道に落ちている虫を下敷きに乗せてレスキューし、ドラム缶の上に集めて、病院に見立てて遊んでいることもありました。昔って、よく犬とか猫が捨てられていましたよね。助けたけれど、翌日死んでいたなんてこともありましたが、とにかく生き物好きでした」
習いごとは、ピアノと珠算、書道。珠算は2段、書道は5段まで真面目に続けました。たのきんトリオ、堀ちえみさんなどアイドルが好きでしたが、自分がアイドルになろうとか、テレビに出るような人になろうとは思わなかったそうです。そんな中、漫才ブームが起こり、『ドリフ大爆笑』や『オレたちひょうきん族』などテレビ番組がスタート、お笑いにハマっていきます。
「中でも一番好きだったのは、ビートたけしさん。そこから深夜ラジオにもハマって、『オールナイトニッポン』を聴き始めたのもその頃です。大人の話だから何を言ってるか正直よくわからなかったのですが、感覚とか雰囲気が好きでしたね」
「高校3年間男子と口をきかない」女友達と取り決めお笑いセンスを磨く
小学生の頃は合唱部、中学ではバレーボール部に所属するも、6人制バレーで背番号7番の補欠。高校時代は進学に向けた選抜クラスで、帰宅部に近い天文地学部に入りました。この時、「高校3年間男子と口をきかない」と取り決めをした女友達7、8人とよくつるんでいたそう。休み時間ごとに集まって、お笑いやくだらない話をするのが楽しかったと言います。
「どこかで『自分達はお笑いのセンスあるよね』『男子の言うことより面白いよね』と思っていたと思います。閉鎖的な女子たちが集まって、どこかで発表したりもせずやっているから、タチが悪いんですけど(笑)。そこでのノリや会話のやり取りが、今の私のキャラにつながっていると思います」
そのメンバーの一人が、後に『オアシズ』でコンビを組む光浦さんでした。うち3人が関東の大学に進学し、大久保さんは千葉県内の大学に進学。お笑い好きだったのをきっかけに、早稲田大学のお笑いサークルに入ります。発表会がある時には、サークルに一緒に入った光浦さんや他の人を加えて、漫才を披露するようになりました。先輩から「お前たち面白いから、事務所のネタ見せでも受けてみたら?」と推されたのをきっかけに、プロダクション人力舎(以下人力舎)のライブオーディションを受けます。それが評価され、人力舎に所属することに。お笑い芸人としての人生が始まりました。
「そもそも、お笑いで食べていこうとは思っていませんでした。人力舎に所属してから事務所のライブに呼ばれていたのもあり、就活はなんとなくしませんでした。正直、何も考えていなかったんだと思います。『芸能界って、こんなに簡単に入れるの?』『事務所所属って、こんなことだっけ?』と。就活をやりそびれてしまったのもあり、とりあえず乗っかってみようと気軽に始めた感じでした」
先に売れた光浦さんを横目にOLとお笑いの二足わらじ生活
しかし現実は厳しく、光浦さんはすぐに仕事が決まったものの、大久保さんは仕事がなく、派遣社員としてコールセンターで働き始めます。先に売れてしまった光浦さんへの想いは、悔しさ半分当然半分という気持ちだったと明かします。
「考えてみると、私は何もできていなかったんですよね。光浦さんはキャラもはっきりしていてトークもできる。ああなるのも仕方なかったと思うんです。もしあのままコンビで出演が決まっていたら、力不足で潰れてしまったかもしれない。あの時間は必要だったかもしれないと今は思っています」
著書『まるごとバナナが、食べきれない』の中で、光浦さんとの関係を「大福の皮とあんこを分け合うような不思議な関係」「今が一番いい時期かもしれない」と語る大久保さん。また、昔の女性お笑い芸人については、あまり好感を持っていなかったと明かします。
「今はみんな頭も良くて、きちんと自分の個性で売っているけれど、昔は容姿を笑いにする芸風ばかりで、ブスキャラを売りにしている方が多かった。『嫌だな』『同性としてどうなんだろう』と思っていました。だから、お笑いをやろうと一度も思ったことがなかったのかもしれないです。もちろん、お笑いは尊敬できるリスペクトできる仕事。そんな簡単になれないとも思っていました。たまたまラッキーで事務所に入れた、だから行けるところまで行こう、という気持ちでしたね」