36歳でやっと巡ってきたチャンス
――ボクシングの夢は諦めざるを得なかったのでしょうか?
なかなか諦めきれなかったので、「じゃあ自分で開いちゃおう」と思って、ジム経営を始めたんです。練習環境も一応あるし、会員さんを集めて教えながら、地道に進んでいこうと。
その頃、現役復活に向けた話もちらほらあったのですが、「現役のプロボクサーはジムを開いたらダメ」というルールもあって。当時仕事はジム経営だけしかしておらず、現役復活かジム経営か、という選択肢の間で悩みながらも、そのままトレーニングは続けて。
JBC(日本ボクシングコミッション)にも何度か掛け合っていて、28歳の時に「これで最後だ」と覚悟を決めて直接電話しました。 “無期限停止処分”とは言っても、グレーゾーンというか、“1年経てば復活できる”という暗黙の了解があるんです。過去の選手も大体1年で停止処分が解けていましたし、僕の場合すでに6年くらい経っていたので。でも「無期限は無期限。5年かもしれないし、10年かもしれない」という返事しかもらえず、「もうボクシングはやめよう」とその時に踏ん切りがつきました。
それでも「ベルトを取りたい」という夢は諦めきれなかったので、それからもずっと一人でトレーニングを続けていました。その後、コロナ禍があったり、交通事故で膝を怪我してしまったり。
36歳でやっとチャンスと巡り合い、アマチュアの大会ですけれどベルトを賭けて戦えることになって、初めてそれを獲得することができました。そこから『Breaking Down5』に繋がっていった、という感じです。
――モチベーションを保つのは難しかったですか?
かなり厳しかったですね。何度もやめようと思いました。筋トレは継続していたんですけど、ボクシングの練習は一年近くやらなかった時もありました。
今でも周りから「元日本ランカー」とは言われるものの、13年くらい経っていて、その間にトレーナーがいたわけでもないし、強い人とスパーリングしてきたわけでもない。本当に自分一人でずっとやってきたので、モチベーションを維持するのは大変でしたね。
――“無期限停止処分”の一件がなければ、日本チャンピオンになれていた?
“たられば”になってしまいますが、日本チャンピオンは現実的な目標として見えてはいました。もちろんその過程で負けもあったとは思いますが、当時22〜3歳だったので、30歳くらいまで続けていれば、日本と東洋チャンピオンのベルトには届いていたんじゃないか、と思います。
ただ、ボクシングだけのキャリアを考えていたわけではなく、当時『K-1』で魔裟斗さんが全盛期の時代で、キックボクシングにも興味があったので、日本チャンピオンを取ったら『K-1』の舞台に行きたいな、と考えていましたね。