酒を飲まぬことによる、最大の福音(メリット)とは何か

酒に弱い、あるいはまったく飲めないタイプが多い日本人だから、“実はあの人も下戸だった”という例が数多ある。
「下戸 有名人」で検索すると、あの人もそうなのか!? と驚くような人の名前がたくさんヒットする。
泉谷しげる、北島三郎、森田剛、蝶野正洋、的場浩司、宇崎竜童、太田光、浜田雅功など、いかにも飲めそうなのに下戸、という人の名前を見ると、仲間を見つけたようでなんだかうれしくなるのは、一種の“下戸あるある”かもしれない。
歴史的偉人でいうと、織田信長も夏目漱石も一滴も飲めないタイプの下戸だったらしい。

現代の作家では、やはりいかにも飲みそうな浅田次郎もまったく飲まないタイプで、「下戸の福音」というエッセイまで書いている。
そこには酒を飲まぬことによる福音(メリット)として以下のようなことが書いてある。

「酒を飲まぬ夜々を知る人は少ないであろう。長い。ものすごく長い。」(『かわいい自分には旅をさせよ』文藝春秋)

浅田はまた、飲まないがために夜がヒマでヒマでどうしようもなく、しまいには本を読むことにも飽きて書いてみようという気になるのだと、謙遜含みで書き綴っている。

僕はこのエッセイを読んで、「まさにそれ!」と膝を叩く思いだった。
雑文書きを生業としている僕は、同業者と比べて文章を書くのが早い方なのではないかと思っている。
書きあぐねて締め切りを破ってしまったことも、過去にほとんどない(本当は「一度もない」と書きたいところだが、自分の記憶にない件で「あのときのことを忘れたか!」と誰かを怒らせてしまうとまずいので、“ほとんど”と言っておきます)。
大作家と自分を並べるのは甚だおこがましいのだが、それは浅田次郎と同様に、酒を飲まぬゆえに夜がものすごく長く、ヒマでヒマで仕方がないからに違いない。

何も僕のような売文業に限らず、仕事に費やす時間が足りないと思っている人、あるいは極めたい趣味があるのに忙しくてなかなか取り組めない人などは、思い切って酒断ちしてみたらどうだろうか。
それだけで、ヒマでヒマでしょうがない長い夜の時間が、そしておまけとしてアルコールの影響を受けていないクリアな頭が手に入るのだ。