編集長就任後、NIGO氏から持ちかけられた話

「終わらない文化祭のようだった」Y2Kブームが思い出せるsmartと裏原宿とNIGO氏_5
編集長就任第一号の「smart」2000年10/30号。表紙はSOBUTのギタリストだったMOTOAKIとモデルの大柴裕介。ライブハウス・新宿LOFTで撮影した

裏原宿系人脈の中では“パンク好き”つながりでバウンティハンターのHIKARUさんとは仲良くしていたが、ムーブメントの中心であるア・ベイシング・エイプのヒップホップ系ファッションは、個人的にちょっと苦手だったりもした。
でもある日、NIGOさんから話し合いを持ちかけられた。

これからエイプは洋服の販売だけではなく、ライブやプロレスの興行、カフェや美容室の経営などをおこなう拡大路線をとり、ショップは世界にも進出していくので、お互いのために協力体制を築いていけないかという話だった。

その話には大きな夢を感じたので、僕は音楽路線と並行しながら、ビッグになっていくNIGOおよびエイプ、また同心円的に命運を共にしているその他の裏原宿ブランドと、もう少し付き合っていくことに決めた。

それから数年間のNIGOとエイプの動きは、近くで見ていてとてもエキサイティングだった。

成功の証を積極的にひけらかして見せるBボーイ的な感性を大切にしていたNIGOは、自身が獲得した莫大な富を隠すことなくメディアに披露するようになった。
原宿からほど近い千駄ヶ谷に設けたNIGOの会社兼倉庫や自宅に何度も足を運んだが、目もくらむようなお宝が、大量に並べられていた(フューチュラの3mもある巨大フィギュアとか、映画に使われたダース・ベイダーの本物の衣装とか、大改造を施したロールスロイス・ファントムとか数え上げたらきりがない)。
「smart」のエイプ特集は、そんなお宝に囲まれた空間にNIGOの旧知のミュージシャンやタレントを呼び、撮影をおこなった。

しかしNIGO、いや長尾智明という人物の生来の姿は、非常に温厚で物静か。実直な雰囲気も感じられた。
どんな場面でも饒舌に話すことはなかったし、仲が良い友達に囲まれても騒ぐことなく、輪の中で一番目立たないような存在だった。
撮影時には、モデルが脱いだ服を黙々と畳んでいる姿も目撃した。
その手つきが鮮やかだったので、僕は思わず「NIGOさん、服を畳むのうまいんですね」と聞いたことがある。
するとNIGOは少しはにかんで、「だって、服屋ですから」と言った。
終始、そういう雰囲気の人物なのだ。

「終わらない文化祭のようだった」Y2Kブームが思い出せるsmartと裏原宿とNIGO氏_6
「smart」2001年7/9号。表紙はNIGOとYURIMARI
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思い出話も過ぎると胡散臭いし鬱陶しいので、今回はこのへんで。
もしご要望があれば、続きを書きたいと思います。

文・画像/佐藤誠二朗