京都取材で出合った、シリーズ完結編の舞台
──まずは単刀直入にうかがいますが、「浮雲心霊奇譚」シリーズはこの『鵼の咆哮』で完結なのでしょうか。
これで一区切りですね。今回、浮雲たちが京都に到着して、過去のさまざまな因縁にもひとつの決着がつく。その先を書くこともできるんですが、ここでシリーズを終わらせるのがいいだろうと前作の時点で思っていました。
──自らの過去と向きあうため、江戸を旅立って京都を目指していた浮雲とその仲間たち。シリーズ最終巻の舞台が京都になることは、あらかじめ決まっていたんですね。
はい。ただどういう展開にするかは決めていなくて、とりあえず現地に行ってみましょうと一年半前の冬、担当編集さんと京都取材に出かけました。舞台にふさわしい場所を探してひたすら歩き回って、午前中だけで二万歩も移動したんですけど(笑)、山科の毘沙門堂というお寺に出合って「ここだ」と思いました。山の中にあるお寺の雰囲気も良かったですし、どこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの龍」の天井画やトリックアートのような障壁画もあって、ミステリー的にもいろんなことができそうな舞台だったんです。毘沙門堂を歩いているうちに、最終巻の構想はほぼ固まりました。当初は京都の市街地も巡る予定だったんですが、毘沙門堂が物語のモデルとしてあまりにイメージどおりの場所だったし、市街地まで書くとまた内容が変わってくるので、山科のお寺を主な舞台にすることにしました。
──これまで行く先々で、妖怪や幽霊にまつわる事件を解決してきた浮雲ら一行。『鵼の咆哮』第一話の「赤狸」では京都からほど近い山の中で、地主の家から赤ん坊が攫われるという事件に遭遇します。犯人は山に潜む妖怪・赤狸なのか? 事件の背後には名家の跡取り問題が絡んでいることが、次第に分かってきます。
家を絶やさないように跡取りを生ませるとか、次男より長男を大事にするとか、そういう意識は現代でもまだ残っていますよね。田舎の方では特に。僕の地元の山梨には、無尽という古くから続いている風習があるんです。地域の住民でお金を出し合って、困っている人がいたら渡すんですよ。助け合いのシステムなんですが、うがった見方をすると特定の誰かが儲かることをよしとしないシステムともいえる。あと僕もしばらく癖が抜けなかったんですが、地元では家に鍵をかけないんです。かけると怒られるんですよ、近所を信用していないのかって。江戸時代にはそういう風潮がさらに強かったでしょうし、現代にも通じる事件なのかなと思います。
──事件解決のために奔走するのが、途中から旅の仲間に加わった遼太郎です。彼のまっすぐな気性が、重苦しくなりがちな物語を明るいものにしていますね。
時代小説って今の時代といかにコネクトするかが大事じゃないですか。時代考証ももちろん大切なんですが、昔の価値観を現代に繫げる何らかの仕掛けが必要なんです。このシリーズだとファーストシーズンの八十八がそうだったし、セカンドシーズンでは遼太郎がそのポジションですよね。セカンドシーズンが始まって遼太郎が出てくるまでは、正直難しかったんです。重厚さは増したんですけど、息苦しい感じにもなってしまって。それでセカンドシーズン第二作の『月下の黒龍 浮雲心霊奇譚』から、遼太郎を登場させたという事情がありました。
──初登場時は頼りなかった遼太郎も、浮雲たちと旅を続けるなかで成長していきます。「赤狸」では「遼太郎にとって浮雲は、単なる旅の道連れではない。友だ──」と考えるシーンがあって、とても印象的でした。
『鵼の咆哮』では友情のいろんな形を描きたいという思いがありました。先日、作家仲間と話していて話題に上ったんですが、男性って関係性に名前をつけたがるんですよね。恋人だとか友達だとか。名前をつけて、決まった枠に当てはめようとする傾向がある。でも友達といっても関わり方は一つじゃないよね、ということを最近考えていて。浮雲と遼太郎は似たような宿命を背負わされた友だし、浮雲と土方歳三は古くからお互いをよく知る友。分かり合えない部分が出てきても、そこは変わらない。宿敵である狩野遊山にしても、ある意味では浮雲の友なんです。友という言葉に込められた、さまざまなニュアンスを感じながら読んでもらいたいです。
──遼太郎の正体は徳川慶喜。「赤狸」の事件を通して彼は、人が自由に生きられる社会を作る、という使命を悟ることになります。
実際、彼の働きによって江戸時代が終わり、新しい時代が訪れたわけですから。作中ではそこまで書きませんでしたが、大政奉還などの動きも含めて、その後の遼太郎の生き方を想像してもらえればと思います。
衝動のままに生きる、土方歳三の危うさ
──第二話「画虎」は浮雲が子供時代を過ごした寺・持国堂での事件が扱われています。赤狸の事件で浮雲と遼太郎が出かけている最中、寺に残った土方歳三と宗次郎が謎解きに当たることになります。
浮雲たちがひとつの事件を解決している裏側で、土方メインの事件が並行して起こるという構成は、京都取材の段階で浮かんでいました。やっぱり持国堂のモデルになった毘沙門堂にかなり助けられた部分があって、ここなら何が起こっても不思議じゃないという気がしたんです。それで隠し部屋を作ったり、作中の時間軸をずらしたり、ミステリー的なお遊びをたくさん試すことができました。結構複雑な話なんですけど、まったく悩まずに書けた気がします。
──今回は現地取材がかなり役に立ったんですね。
大きかったですね。頭の中にイメージができあがっているので、そこからさらに深く一歩踏み込めた気がします。時代ものは資料を読み込んで、空気感を摑み取るところから始めるんですが、今回はその必要がありませんでした。
──閂のかかった部屋の中で、血に染まって死んでいた寺の小僧。やがて不可解な事件の裏側に、僧侶と小僧たちの秘められた関係が浮かび上がってきます。
理屈ではどうにもならない感情、自分では抑えきれない衝動のようなものが、今回ひとつのテーマになっています。「画虎」は特にそうですね。ある登場人物は僧侶に抱かれるのはいかがなものかと思いながらも、その関係に溺れてしまう。良い悪いではなく、そういう感情を抱いてしまうのも人間の姿だと思います。ちなみに日本では伝統的に男色文化があって、武家や僧侶の世界では男性同士が愛し合うのも珍しくはなかったんですよ。
──抑えられないといえば、「人を殺す理由がないのに、殺したいという願望を持つ」土方もそうですね。今回、彼の殺人衝動がかなりクローズアップされています。
僕としてはそこが「画虎」で一番書きたかった部分です。これまで理性でコントロールしていた部分が抑えきれなくなって〝歪み〟に足を踏み入れていく。後の土方の人生を考えると、こういう心の変化があってもおかしくはないんです。新選組って敵よりも味方を斬った数の方が多いらしいですけど、とにかく「鬼の副長」となった土方は人を殺しまくっている。歴史的に美化された土方ではなく、衝動に突き動かされて生きる、危うい土方を書きたいと思いました。
──一方の浮雲は、何があっても人の命は奪いません。浮雲のこのポリシーは何に由来するのですか。
過去に辛い目に遭ったというのもありますが、一番は幽霊が見えてしまうからです。普通だったら憎い相手は殺せば目の前からいなくなる。でも浮雲の場合、幽霊となった姿を見続けることになります。命に対する概念が、一般人とは異なっているんですよ。死者の魂が見えるというのは「心霊探偵八雲」シリーズの八雲も同じなんですが、彼が人の命を奪うような機会に遭遇することはほとんどない。でも浮雲の生きている江戸時代は、刀で斬り合いになることも多い。そんな中、相手を殺さないという立場を貫くことは、並大抵のことではないんですが、そこは最後まで貫き通したいと思っていました。














