「何かドラマがあるんじゃないか」エッセイを書くことで変わった日常
「良いネタはないか〜」「良いネタは落ちてないか〜」と目をギラギラさせながら歩き回り、ネタを見つけたらPCでザザッと文章の土台を作り、それをスマホに転送して空き時間にコツコツと整えていく……。
重箱のすみを突くように小さなエピソードを探しては、それを練りに練り、膨らませてはエッセイに仕上げる毎日。
2ヶ月に1本、月に2本、週に1本、合計4本のエッセイ連載はなかなか大変だけれど、この経験もきっと私の“書く筋力”をまた鍛えてくれるはず。
ちなみに、さっきから「大変」「大変」ばっか言っていますけど、もちろん、書くことはプラスになってもいるんですよ。
まず、エッセイのネタを常に探しているからこそ「ここに何かドラマがあるんじゃないか」と。
普段なら見逃しているような、小さなこと、小さなもの、小さな心の動きにも目が留まるように。
それは自分の感性を豊かにしてくれているような気がするし。
あと、アクティブにもなったよね。
仕事場で「何かが起きたらいいな」「誰かの言葉が引っ掛かったらいいな」と思ってはいるけれど、忙しさに追われていると、何も感じないままに1日が終了。
何も起きないまま次の〆切が訪れてしまう、なんてことになりかねないから。
ネタが落ちていそうな場所に自ら出向くようになったりして。
前々回、この連載でも書かせてもらった、市川市動植物園の子猿のパンチくん。彼に会いに行ったのだって、半分エッセイのためですからね、あれ(笑)。
こんなふうにエッセイを書いていると「他の人のエッセイも読むんですか?」とよく聞かれる。
ちなみに、その答えは「No」。
なんなら、逆に読まないようにしています。
自分が得意じゃないぶん、文体とかリズムとか、何かしらの影響を受けてしまいそうで。
ただ、「エッセイってどんな感じだったっけ?」って、その楽しさを思い出したいときは、『松尾スズキの、のっぴきならない日常』を読んでいます。
月に550円払って読むメルマガなんだけど、本当に文章が面白くて。
「よし、書くぞ!」の気持ちにも火をつけてくれるんだよね。
ちなみに、自分のエッセイは今までほとんど読み返したことがない。
そのときの自分が生々しくそのまんま、そこにパッケージされているからこそ、なんだか恥ずかしくて読めないんだよね。
でも、文字として、本として、それが残るのはありがたいことなのかもしれないと最近は少し思っている。
普段、写真を撮らない私にとってはそれがいつかアルバムのような存在になりそうだから。
70歳や80歳になったころには懐かしい気持ちでこのエッセイも読んでいるかもしれないよね。
「連載がしんどいとか言ってるねぇ。まだまだあおいねぇ」って、縁側でお茶をすすりながら(笑)。
聞き手・構成/石井美輪 イラスト/中村桃子 撮影/露木聡子













