「右だ左だとか、言ってる場合じゃないんだよね」
難波「思想とか自由だよ。何考えたっていいし。いろんな発想があっていいわけで」「でもさ、それでいがみ合っててもね。もうちょっとこう、上に行きたいね。横にぶつかってばかりじゃなくて」
横山「間違いないっす」
難波「うーん……よくわかんないよ、俺だって」「横にいない気がするんだよ、敵は」
横山「右だ左だとか、なんか言ってる場合じゃないんだよね」
難波「思想、もちろん、いろんな発想があって、いろんな考え方があって、そうじゃないって思ってもいいけどさ」「認め合うっていうか、いきなりぶつかり合うことないんじゃねえのかな、と思って」「そういうの中和するのが音楽じゃねえの、と思って」
横山「わかったぜ。いろんな思想はあるけど、それは大事だよ。しかし、右だ左だ。ロックンロールの前では無力だぜ………こういうのって案外ウケないんだよね」
難波「本気で言ってるよ。もうちょっと仲良くいこう。今こそユナイトじゃん。いろんなもん超えてさ。共存」「戦争やだよね、もちろん。そんなん当たり前だよね」
横山「右だって左だってやなんだよね、戦争はね」
難波「めちゃくちゃだよね。せめて殺さないで。俺たち民衆はもっとつながっていこう。許容して。音楽で、パンクロックで中和していこう」
と、ここまでが、発言のほぼ全容である。こうして改めて文字にして読んでみると、明らかな差別や戦争を礼賛するようなことは一言も言っていない。むしろ「戦争反対」の意思表示をしている。それでも、この発言にはさまざまな問題が含まれていることもたしかだ。
まずは、本題に入る前の「よくわかんないよ、俺だって」というエクスキューズ。戦争に反対するのであれば、誰が、誰を、なぜ、どんなふうに、攻撃しているのか、その攻撃によって、いま世界でどんな惨劇が起きているのか、わかったうえで発言することもできたはず。
そのあとの「右だ左だ言ってる場合じゃない」も同様に。世界を見ても、国内の政権を見ても、日本各地で起きている事象を見ても、右派勢力による排外主義、人種やジェンダー差別、マイノリティへの配慮のなさなど、さまざまな問題は容易に想像することができる。
これだけ世界中の情報が容易に手に入る現代において、「わかんない」はさすがに思慮が足りないと指摘されても仕方ないのではと感じた。
加えて、政治的無関心が、時の権力に都合よく機能してしまうことも我々は知っている。非道な政策や判断に対して、意義を唱えず、反対意見の世論が十分に可視化されなければ、問題のある政策や法案に対する政治的な抑止が弱まることがある。













