対照的だったMassive Attackのステージング

また、時に中立の立場を表明することは、加害者への加担にもなりうる。一方的な暴力や不当な攻撃を前に、喧嘩両成敗は通用しない。

とはいえ、どんな事象においても、その原因は複雑でもあるので、「わかんない」と言いたくなる気持ちもわかる。でも、フジロックという限られた出演者だけが立てる大きなステージで、戦争反対という重要なメッセージを発するからには、知っておいてほしかった。

その点、対照的だったのが、最終日の26日にグリーンステージに登場したMassive Attack。彼らはステージのスクリーンに、トランプ大統領やプーチン大統領、実際の爆撃の様子、ガザ地区に住むパレスチナ人の数、2025年の世界の軍事費など、あらゆる具体的な事象を映し出し、米軍や情報機関などにデータ解析・AI関連システムを提供するアメリカ企業・パランティアも名指しで批判した。

今年のフジロック会場で見かけた心和む平和な1コマ(撮影/集英社オンライン編集部)
今年のフジロック会場で見かけた心和む平和な1コマ(撮影/集英社オンライン編集部)

Hi-STANDARDに限らず、すべてのミュージシャンにMassive Attackと同レベルの政治的メッセージの発信を期待しているのではない。そうではないが、ここまで具体的に発信してこそ伝わるものがある。実際、Massive Attackのステージングに賛辞を送る意見はXでも多く見受けられた。

「オ〜、ニッポン、ニッポン」の合唱についても、根本は同じで、今この日本において、愛国的な言葉が、排外主義的な主張と結びつけられる例もあり、そうした政治勢力への警戒感が高まっている状況では、ナショナリズムそのものに危機感や嫌悪感を抱く人がいることも、知っておくべきだったと思う。

当たり前だが、国を愛する人がイコール差別主義者ではないし、サッカー会場だろうがフジロックの会場だろうが「オ〜、ニッポン、ニッポン」と合唱すること自体が排外主義を容認していることの証左にはならない。

あの合唱に参加した観客たちも、良きものとして受け取った人たちも、きっと多くは差別なんかには反対で、強い排外思想も持っていないと思う。それでも今、愛国的な言葉が排外的な主張に利用される例があり、発する人の意図とは別の政治的意味を帯びて受け取られる状況がある。