「10球同じところに同じ球速で投げられるのは江川しかいない」

江川は合宿所に入らず、すぐ隣の家に下宿住まいだったが、部屋子の鎗田と同様に髙浦の身の回りの世話をするなど髙浦と四六時中一緒にいた。

江川は入学時して間もない頃、川崎の法政グラウンドで報道陣がカメラを向けるのに気づくとすぐさま顔を背けた。高校時代のように自分一人だけフィーチャーされたくない思いからだ。70代中盤の大学体育系部活動の上下関係は、鉄の掟より厳しかった。

春の新人戦で好投し一年秋からベンチ入りしていたサウスポーの鎗田は、同僚だった江川をブルペンで間近で見て唖然とするしかなかった。

「僕でも一年生から140キロの球は投げられましたが、10球同じところに同じ球速で投げられるのは江川しかいない。1球、2球だけだったら投げられますが、連続して投げることができないのです。

江川は巨人時代、最終回に三者三振を狙っていたというのはそういうところなんです。最低でも9球は必要ですから。これが普通できないんです」

周囲を圧倒するほどの才能を魅せつける江川は、命運を託されるように集合体の中心となって動いていく。

そして一年秋のリーグ戦、満を持して初戦の立教戦に先発した江川は、延長十一回を2安打10奪三振で1対0の完封勝利。初先発で華々しい神宮デビューを飾った。

正直、立教のレベルでは江川が完封しても当たり前。次週の早稲田戦こそが、江川の本格的神宮デビューと関係者たちは見ていた。

広島商業から早稲田へと進んだ江川世代より学年で一個上のキャッチャー斉藤力は、どうしても江川の球を受けてみたかった。

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「江川が法政に入ったときに、キャッチャー心理として江川の球を捕りたくて一個下の金光に『ユニフォームを用意しておけ』と言って早稲田の選手なのに法政のユニフォームを着て受けましたよ。そりゃ、凄かった。

ミットを少し下に向けて捕らないとホップするから負けちゃうんです。15球くらい捕ったのかな。帰ろうとすると江川が遠投をし始めた。これはモノが違うわ、と。捕った以上の衝撃でした。

70メートル離れての遠投なんだけど、球の軌道の高さが僕らが50メートルの遠投をやるくらいなんです。え!? あの高さで届くんだ? よほどスピンが効いてないと届かない。法政なんかで遊んでないでそのままプロに行くべきだった」