同行者を眠らせない

完全オフのさんまの素顔とはいかなるものか。さんまとの初めての旅、30年前の旅から振り返りつつ、描いてみよう。

そもそも、その始まりも結構大変だった。あれは「恋から」が始まった翌年の10月下旬のことであったと思う。麹町のGスタで収録の合間にさんまが聞いてきた。

「菅君(菅賢治)と吉川君、正月休み、どないすんねん?」

我々が、
「何もないです」
と答えると、

「オーストラリアの別荘に行かへんか?」

と聞いてきた。出会って7年間、我々とさんまの関係はさらに深まっていた。しかし、1992年に離婚したとはいえ、大竹しのぶたちと過ごしたその別荘に我々が行っていいのか? などと思っていたが、どんどん日程も決まっていく。

オーストラリアのゴールドコースト。写真はイメージです(写真/Shutterstock)
オーストラリアのゴールドコースト。写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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当日、便は成田を夜8時ごろに出て、翌早朝、オーストラリアのブリスベン空港に到着する(これは今も同じ)。

以降30年近くにわたって続く“強化合宿”のはじまりだった。この時、独身になったさんまに同行したのは、菅と私と私の妻のたった3人だった。

さんまは現地コーディネーターの杉山さんが予約したゴルフ予定表を見ながらやる気満々になっている。別荘到着後すぐゴルフ場に出発である。

夕方になるとゴルフ焼けでさんまは初日から既に真っ黒。その後レストランに車で向かうのだが、初めての長期旅行、その車内での会話でも滑るとつっこまれるので手を抜けず、菅も私も妻も杉山さんも張りつめていて大変である。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

朝6時起きでゴルフ場へ行き18ホールプレイ後、別のゴルフ場へ1時間ほど移動して午後の18ホールをプレイする。つまり毎日36ホール、35度以上の炎天下のゴルフである。

我々はヘトヘトになっているが、明石家さんまは強烈な太陽の光で逆にどんどん元気になっていく。最初はこの調子で8日間ほどいた。

ゴルフ終了後、別荘でシャワーを浴びて、夕食に出かける。その後、“さんまの館”で雑談の夕べ。雑談会は実に午前3時ごろまで続く。次の日も6時起床で午前3時までの雑談会。さんまのこのペースは決して崩れないが、我々の疲労はどんどん蓄積してゆく。

旅の後半、どっと疲れて熟睡している我々は早朝から明石家さんまに「朝だよ~」と叩き起こされる羽目になる。

妻も炎天下のゴルフに参加した。ゴルフは初心者なので、ちょっとずつ前進はしているとはいえ、私は私でゴルフカートで自分のボールを探すのに夢中だった。カートにも乗れない妻は疲れてゴルフクラブを引きずってゴルフ場をトボトボと歩いていた。その様子を見てさんまが言った。

「吉川君ひどいわ。なんか奥さん、ローマ時代の鎖に繋がれた奴隷みたいやで」

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

実にその通りだった。

そして、明後日でオーストラリアから日本に帰国となった日の夜、私は思い切ってさんまにこう切り出した。

「さんまさん。実は我々夫婦はオーストラリアに初めて来て、まだカンガルーとかコアラとか見てないんですが、明日ちょっと近くの動物園に行ってもよいでしょうか?」

「お、そやったか。ええで。ええで」

翌日、我々夫婦はゴルフ場ではなく全く別の国に来たように観光地のサーファーズパラダイスのビーチやゴールドコーストの街を楽しみ、動物園で地元の珍獣たちを見ながら、念願のコアラとの記念写真も撮り、夕方、“さんまの館”に到着した。