KADOKAWAという名前を背負っているプレッシャー はこちらから

勉強勉強、また勉強

――お母さまが中国のご出身で、岡田さんも6歳から6年間、お祖母さまのいる中国・上海で生活されていたんですよね。

母から中国の勉強をしてきなさいと言われて。子供だった私に拒否権はないですから、言われるがままです。

朝6時に登校して、夜寝るまでずっと勉強。母も厳しいですけど、おばあちゃんはさらに厳しい人で。あれはダメこれもダメ。毎日これをしなきゃいけないという規則もたくさんあったので、そのルールに従って日々淡々と過ごしていた感じです。

――早く日本に帰りたかった?

もちろんです。ただ帰ってきたら帰ってきたで大変で、文化の違いに戸惑いました。日常言語、私にとっての第一言語は中国語になってしまっていたので、日本語がうまく話せなくてクラスで浮いてましたね。

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――高校は青山学院高等部です。

そこで一気に花開いた感じです(笑)。中学時代は休みの日の門限が午後3時で、どこにも行けなかったんですけど、高校時代は学校帰りに友達と渋谷のマックに行ったり、マルキュー(109)をのぞいたり。

大学に進学してすぐにモデル仕事を始めたので、今思うと高校の3年間が私にとってザ・青春という感じでした。

――『第43回non-noモデルオーデション』でグランプリを受賞したのが、高3の時でした。

『セブンティーン』や『ポップティーン』に出ているモデルさんに憧れていて。今の事務所にスカウトしていただいてすぐにオーディションがあったので受けました。

――厳しいお母さまは反対しませんでした?

母は私をキャリアウーマンにしたかったみたいなので、当然反対されました(笑)。

大学(青山学院大学)に入学した4月から、週一で『ZIP!』に出させていただくことになり、生放送の日は早朝3時半にスタジオ入り、番組が終わってから1時間半かけて、当時神奈川県相模原市にあった淵野辺キャンパスに通い、授業が終わってからまた都心に戻って仕事。

もちろん有難いお仕事でしたし、自分で決めたことなのでやり通せましたが、その一年はよく頑張ったと思います。

――寝る時間がなさそうですね。

スケジュール的には、そうですね。でも毎日違う服を着て違うメイクをして…という「ノンノ」の仕事は全部楽しかったです。

もう一度戻れるとしたらあの頃に戻りたい。それくらい楽しかったです。