自分のルーツをたどって感じた使命感
沖縄生まれ、沖縄育ち。川田が戦争に思いを寄せるのは、沖縄が日本に返還された翌年の1973年生まれで、地元では“復帰っ子”と呼ばれる世代だからだろうか?
「それも大きな理由ではあります。もう、本当におじいやおばあがどんどん亡くなっていて、戦争体験者が少なくなってきているので。
2年前に、1972年生まれの仲間で『今のうちに撮っておこう』と、伊江島のおじい・おばあの戦争体験のドキュメンタリー映画『にげるは生きる~結どぅ宝』を作ったんですよ。おじい、おばあは苦しい思いをしながらも体験談を話してくれて、聞かせてもらっている僕も本当に苦しかった。
沖縄のいろんな文化に改めて触れて、その歴史をたどっていくと、戦争があることに気づいたんです。それを伝えなきゃっていう思いも、年を重ねるごとに大きくなっていったんですよね」
川田の祖父は戦争で亡くなっているという。
「写真を探して見ると、まだ1歳だった母を祖父は抱っこしていて。その直後に亡くなったそうです。僕がその話を知ったのは、50歳のとき。家族でも語れないぐらい悲惨なことが、実際に80年前にあった。戦争は歴史でも過去でもなく、家族の話なんです。自分の気持ちが大きく動きました。
沖縄であった戦争を知ることで、今こうやって生きていることのすばらしさを僕は伝えたい。祖父が『お前が伝えていけ』って言っているのかもしれないし、『これにちゃんと向き合わなきゃな』という使命感が強くなったというか。やっぱり自分の気持ちがそこに向いていくんですよね」
また、7年前に急性肺塞栓症にかかったことも、人生観に影響を与えたと振り返る。
「エコノミークラス症候群って言うと聞きなじみがあるかな。カジュアルな響きだから甘く考えていたら『命を落とす可能性大です』と医師に言われて。簡単に言うと脳梗塞の肺バージョン。
退院後、3年ほど血液をサラサラにする薬を飲み続けて完治しましたが、『俺はいつ死ぬかわからん。後悔しないように生きよう』と思うようになりました」












