20歳で人生を終わりにしようとするが……
都立高校に進学したが、1か月も経たずに行けなくなってしまう。結局、退学して通信制高校に入り直した。
「また、無理に馴染もうとして行けなくなってしまって……。どこに行ってもうまくいかないんだと、ショックでしたね。やる気を失って、通信制高校のスクーリングにも行きませんでした。家でウイスキーを最初は水で割って、そのうちストレートで飲んで。毎日じゃないですけど、記憶をなくして家中をゲロ浸しにしちゃったりとかね」
2回留年して、まだ高校2年生だったある日、森野さんは海に向かった。
「同世代の人は華やかに成長している時期に、自分は何年もひきこもって何をしているんだ。どんどん、どんどん暗黒へと隔離されて……。そんな思いを深めて、いっそもう20歳の節目で人生を閉じたいと思ったんです。それで、海に行ったんだけど、飛び込む勇気はなくて。奥多摩の橋の上にも立ったけど、死ぬに死ねなくて……」
死ねないなら、どうしようかと考えていると、ふと頭に浮かんだことがあった。
「ピアノ、好きだったんですよね。学校に行かなくなって、いろんなことをやめたけど、またピアノをやりたいなって思ったんです」
母親に伝えるとうれしかったのか、すぐピアノ教室を探してくれた。せめて月謝は自分で払いたいとアルバイトを始めたのだが、思わぬ事態を引き起こす。
「ホテルの宴会場の配膳って華やかそうでいいなと憧れて。でも、罵声が飛び交うぐらい厳しい職場だったんですよ。もうホント、世の中ってこんなに厳しいのかと」
アルバイトが終わると、近くの喫茶店でビールを飲んで一息つくのが習慣になった。その後、いつもは電車に乗って帰るのだが、その日は、なぜか歩いて家に帰ろうと思った。コンビニで缶酎ハイやビールを買って飲んで歩き始めたのだが、途中でプツンと記憶を失う。
気がつくと病院だった。駅前で倒れて、救急搬送されたのだ。
仕事もうまく行かず、部屋には酒の空き瓶がゴロゴロ
「こんな若くてこんなに飲むのは、心に何か抱えているんじゃないか」
処置にあたった救急医にそう言われ、メンタルクリニックを紹介された。医師の診察とカウンセリングを受けて、自分のことを少しずつ話すことができた。
「20歳で死ぬこともできず、死ねないんだったらと動いて、そのおかげで病院と出会って。主治医は何度か変わっているんですが、何人目かの先生がゲイの先生だったんですよ。しかも、ピアノも弾いていて。やさしい先生で今でも親しくしています。そういう意味では幸運でしたが、お酒の失敗をくり返しちゃって」
カウンセラーの助言も受けて22歳でどうにか高校を卒業すると、印刷会社に就職した。仕事中ずっと緊張している反動で、仕事が終わると酒を求めてコンビニや飲み屋に駆け込んだ。飲み過ぎると翌朝起きられなくなり仕事を休む。
自分の部屋の中には酒の空き瓶がゴロゴロ転がっている状態で、5月の連休前には辞めざるを得なくなってしまった。
「仕事もうまくいかないし、連休が終わったら死のうと思っていました」
主治医も、このままでは危ないと感じたのだろう。ある自助グループを勧められた。その出会いが、森野さんの人生を大きく変えていく――。
〈後編へつづく『ゲイだと言い出せず、中1で酒に逃げたひきこもり男性「苦しんだ自分に意味はあった」』〉
取材・文/萩原絹代