「拒否児」とからかわれて心の傷に

学校を休み始めてまもなく、森野さんは家にあった父親のウイスキーや焼酎を大量に飲んでしまう。翌朝、気がつくと自分の部屋で寝ていた。

「無理やり学校に行かせようとする親と何度も押し問答になって、よっぽどつらかったのかな。自分では飲んだ記憶はないんですけど、後で両親に聞くと、酔っ払って家の前の道端で倒れていたって。冬だけど上半身裸で。

それで親もびっくりして、慌てて学校の先生のところに相談に行ったんだと思います。先生がうちに押しかけてきて、部屋のドア越しに『大丈夫か』と。先生のアドバイスがあったのか、親も『学校に行け』とはピタッと言わなくなりましたね」

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

朝起きられなくなり、学校のある時間帯は部屋で息を潜めるように本や漫画を読んだ。だが、家にこもりきりではなく、同級生に会わないよう早朝に家を出て、自転車で江の島や二子玉川など遠くまで行くこともあった。

「学校に戻らなきゃ」という焦りもあり、意を決して2年生の始業式に登校した。素面では勇気がなく、「酒をあおって」家を出たのだという。森野さんが自分の席に突っ伏していると、「拒否児」とからかう声が聞こえた。

「登校拒否の拒否児。当時は『不登校』という言い方はまだありませんでした。すごい心の傷になったのを覚えていますね。それで、翌日から『もう行くもんか』と」

写真はイメージです(PhotoACより)
写真はイメージです(PhotoACより)

そして、登校できないまま1学期が終わる。その間に、母親がいろいろな人に助けを求め、夏休み明けから児童相談センターに行くことになった。

「そこは通えました。来ている子は、みんな同じように教室で傷を負って学校に行けない子たちなので、お互い、傷には触れないしね」

高校受験を見据えて、児童相談センターの職員が中学に出向いて「傷つけるようなことは言わないように」と他の生徒を指導してくれた。おかげで3年のときには学校に戻れたが、欠席や遅刻も多く、ぎりぎりで卒業した。