「捏造の主張は品位に欠ける」と語ったベテラン弁護士
2014年の再審開始決定、そして、今年の再審無罪判決、この2度だけである。筆者は、これまで20件以上の冤罪事件を取材してきたが、判決文、決定文で「捏造」という文字を見たことがない。捏造がないのではない。むしろ、冤罪には必ず、嘘の自白と捏造証拠がある。
過去の死刑冤罪4事件でも、すべてに捜査機関による証拠の捏造があった。それにも拘らず、裁判官は再審開始決定や再審で、一度も「捏造」という言葉を使っていない。狡く言い換えている。これは検察への気遣いなのか、あるいは怯えなのか。
例えば、死刑冤罪の一つ、松山事件(再審無罪・1984年)では、被告人の自宅にあった寝具の襟当てから被害者の血痕が検出され、これが有罪の根拠となるのだが、この血痕が捜査機関の捏造だった。
これについて、再審無罪判決は、血痕を付けたのが被告人ではなく、警察の押収後に付いたとみられるなど「不合理な付着状況」が認められるとした上で、「これらにかんがみると本物証は、これを以って有罪証明に価値のある証拠とすることはできない」と判示した。
なんとも回りくどい表現だが、とにかく「捏造」という言葉を回避しながら、襟当てを証拠から排除し、その結果、有罪の証拠が消え、無罪となったのである。
一方、袴田事件の弁護団の中でも、5点の衣類を「捏造」だと主張して再審を闘うことについては、様々な意見の相違があった。1998年の支援集会で小川秀世弁護士が次のように語っている。
「(裁判所が、5点の衣類のDNA鑑定を行うと決めたことについて)我々の主張に裁判所が耳を傾けたということです。画期的なんです、これは。弁護団の中ですら、あまり積極的でなかった『捏造』という主張に耳を傾けた、ということなんです。袴田弁護団以外の、他の弁護士さんからは、なんと馬鹿なことを袴田弁護団はしているのかと言われたこともありました」
裁判官だけでなく、弁護人にとっても「捏造」の主張は敷居が高かったということが分かる。捏造の主張は「品位に欠ける」と言ったベテランの弁護士もいたという。
捏造への嫌悪感とは、「刑事法廷では誰もが適正な手続きによって真実(事件の真相)の発見に邁進する」という基本原則が幻想に過ぎないこと、つまりは、そんな「表看板」のメッキが剥げてしまうことを、裁判官も弁護人も恐れた、その表れではないかと想像する。そして、検察官だけは、それが既に崩壊していることを知っていたのである。
文/里見繁 写真/共同通信社 Shutterstock