村西作品の『ホジッてください』が爆発的ヒット
――あの時代はそんなことがあったんですね。その後、デビューしてすぐ、トップ女優になったのでしょうか?
いえ、爆発的に売れたのは、村西とおる監督のダイヤモンド映像に移籍して出た初作品『ホジッてください』です。それまで擬似プレイだったのが、この作品で初めて本番行為の撮影をしたことで話題となったんですね。
当時のダイヤモンド映像は売上が会社のホワイトボードに書き込まれてて、黒木香さんとか松坂季実子さんといった名だたる女優さんと並んで、私の作品の売り上げ本数がドーンと上の方に書いてあるのを見ました。
――当時の村西監督は、女優さんたちを買い物に連れていき、ブランド品などを手当たり次第に買い与えたといった武勇伝があるようですが、実際そうだったんですか?
Netflixの『全裸監督』にそんなシーンがあったみたいですけど、実際には何千万円もの買い物を女優にしたなんてこと、一切なかったですよ(笑)。まあ、写真集を撮る時は惜しみなく高級ブランドの洋服を買って高級ホテルで撮影したりと、作品作りへのお金のかけ方や力の入れようはものすごかったですけど。
――実際、当時はどのくらいのギャラをもらい、どんな暮らしをしてたのですか?
毎月いくらと決まってたわけではないですが、だいたい200万円くらいをポンと渡されていたと思います。でも派手な遊びとかは全然しなかったですね。私は実家が貧乏だったので、コツコツ貯金するのが好きでしたし、実家に毎月20万円の仕送りもしてました。
家は当時、ダイヤモンド映像があった会社近くの1ルームマンションでした。お仕事のない日にも村西監督から「メシ、つくりに来い」って言われてスタッフさんのご飯を作ったりして。
――セクシービデオ出演はご両親などにはバレなかったのでしょうか。
もちろんバレました。お姉ちゃんから電話がかかってきて「あんた、出てるでしょ?」って。うちの父親は門限時間を過ぎると家の前で木刀を持って仁王立ちして待ってるみたいな雷オヤジだったので、お姉ちゃんから「お父さんが家に帰ってくるなって言ってる」と聞いて、数年間は連絡しませんでした。でも仕送りだけはずっとしていました。
――いい娘さんだったんですね。セクシー女優という仕事は、今よりも偏見の多い時代だっと思いますが、大変な思いをしたことはありますか?
いえいえ、今のようにネットなんてない時代ですから、全国各地にサイン会に行ってファンの皆さんとお会いできて、さらにご当地の美味しいご飯を食べられて、本当に楽しかったです。ただ、当時稼いだお金のほとんどは、当時お付き合いしていた男の人に使われてしまったんですよね…。
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当時の桜樹さんの作品は新作が1本出れば1億円近い売上を出したというが、本人が手にした金額はセクシー女優引退までの2年間で1億にも満たなかったという。
後編では引退後から今に至るまでの空白の20年間について聞いた。
取材・文/河合桃子 撮影/井上太郎