体育の授業を恨む声が噴出
Xで「体育の授業」に関する投稿が話題になっている。
〈ツイッターやってて特に衝撃的だった事件のひとつに、市民がスポーツする場をつくるNPOの人が「ツイッターやるまでは学校の体育を恨んでいる人がいるなんて知らなかった」と「目から鱗」になってたこと。その人は体育がいちばん楽しかったから、と。体育へ寄せられる恨み言の数々に呆然とされていた。〉
この投稿は3356万インプレッション、10万いいねなど大きな反響を呼んだ。
この投稿に対し、〈本当に苦痛でした〉〈体育は苦手だった、それと同時に体育が得意な連中が苦手だった〉など“体育嫌い”のコメントが多数寄せられるとともに、〈気づかないもんなんですね〉〈あまりにも鈍感〉〈体育が嫌いな同級生のことは目に入っていなかったのか……〉という驚きのコメントも寄せられた。
ちなみに元陸上選手で世界陸上銅メダリストの為末大氏も過去に、こんなポストをしている。
〈スポーツを離れて社会に出て良かったのは、スポーツを嫌っている人や、憎んでいる人、やっていたけど傷ついている人がこんなにいたのかと気付かされた事です。(中略)これまでのスポーツ体験でひどい思いをして距離を置いたそんなに小さくない集団が「スポーツ最高」と言っている私たちを冷ややかに見ていることはきちんと理解する必要があると思います〉
全員ではないにせよ、運動が得意な人が「体育やスポーツを憎んでいる人がいる」ことを認識していないというのは、どうも本当のようである。
それではなぜ、体育の授業のせいで、運動嫌いが生まれてしまうのだろうか。
Xでは次のような理由が投稿されていた。
〈周りから笑われた〉
〈つらかったのは、誰かと比べられて差別を受けること、チーム分けなどでお荷物として扱われることでした〉
〈チームプレーの競技でみんなの足引っ張るのも辛かった〉
今回話題となった投稿には、体育の授業でチームスポーツをやった際にミスをしてしまい、冷ややかな視線を浴びせられたり、笑われたりといったつらい経験を語るリプライが続出した。
しかし、体育の授業が運動嫌いの人を量産する仕組みは、本当に「運動が得意な人」からの嘲笑や差別だけなのだろうか。