喜怒哀楽は表に出さない徹底ぶり

『セーラー服反逆同盟』では同世代の仙道敦子や山本理沙らと共演した。撮影の待ち時間はキャッキャと華やいだ雰囲気のようだったが、そこに中山さんが加わることはなかったようだ。

「私ってすごい人見知りなんですよ。いいなと思ってもすぐに打ちとけられない。だから外側からみんなの楽しそうな姿を見て、うらやましいなぁと思ってる」

そんな中山さんの人見知りな一面をも含め、長く見続けてきた人物に話を聞いた。デビュー当時のエッセー集『透明でいるよ めいっぱい女の子』から1998年の写真集『ANGEL』(すべてワニブックス)にいたるまで5冊の写真集の編集に携わった元ワニブックスの編集者・池田清美氏は言う。

「週刊明星」1990年6月14日号より 撮影/篠原伸佳
「週刊明星」1990年6月14日号より 撮影/篠原伸佳

「出会った時から彼女はスーパーアイドルでしたが、物静かで、はしゃいだ感じもないし、大人しく非常に堅実な印象の少女でした。
自分勝手でわがままだとか生意気だとかはまったくなくて、やらなければいけない仕事を淡々とこなすクールな感じすらありましたね。人見知りというのは確かにあったと思います。

だから正直、長く彼女を見てきましたけど、彼女の大きな喜怒哀楽の感情を目の当たりにしたこともなければ、“こんなエピソードがある!”というほどの思い出は本当にないんです。
出会ったのは15歳でしたが、本当に最初からプロとしてのお付き合いをさせていただきましたね」

そんな池田さんだが、思い出すのはこんな不思議なエピソードだ。1991年に発売された写真集『SCENA miho nakayama pictorial』(ワニブックス)の撮影のためイタリアのベニスに行った時のことだ。

「ベニスのロケでは14世紀に建てられた屋敷を改装して作られた超名門ホテルに泊まりました。
ちょっと信じられない話かもしれませんが、そこで私は宿泊初日にものすごい心霊体験をしたんです。金縛りに遭い、軍隊とか民衆が私の頭上を行進してて、うなされた挙げ句、翌朝に40度近くの熱を出しロケ中にもかかわらず寝込んでしまったんです。

その後ミラノに移動しその話をしたら、美穂ちゃんが“実は私もあのホテルで金縛りに遭ってたくさんの幽霊を見てうなされた”と言うんです」