相矛盾するふたつの世界遺産

さらに、国としては基本的に搾取性を否定した「明治日本の産業革命遺産」と、明確に搾取性を肯定した佐渡金山という相矛盾するふたつの世界遺産を抱え込むことになる。

このふたつの関係性を公に質問された場合、政府としては対応に苦慮することになる。その対応次第では保守派などからの猛反発も予想される。

また、現実的に啓発活動を行う場合、「悪の大日本帝國vsか弱き朝鮮民衆」という構図で語りにくいという点も、前出の林道夫住職の研究からわかっている。植民地からの搾取は階層性があり、単純な善と悪で説明しきれない部分がある。

佐渡奉行所跡(復元)
佐渡奉行所跡(復元)

日本の帝国主義的政策の下でも意に沿わない労働を強いられる状況はたしかにあったわけだが、その過程では親族や仲間に裏切られて不遇を託つ状況に陥ったというケースが少なからず確認されている。

佐渡に来た金山労働者の中にも同郷の者の甘言に乗せられ、この地で働かされることになったという事例がある。この構造はある意味、現代の技能実習生制度に関してベトナム実習生の送り出しに同胞であるベトナム人が多くかかわっているという問題とも酷似している。日本の産業政策のために、同じ民族の中で裏切りがある状況は悲劇的と言える。

もう一点、江戸時代の金山を支えた無宿人について論点にしていないということも引っかかる。佐渡では罪人が働いていたと誤解されるが、無宿人とは今風に言えばホームレスのような存在であり、江戸幕府は都市政策の一環として彼らを佐渡に送ったのである。

現代でもホームレスへの差別意識は否定しがたいものがあり、佐渡の世界遺産は現代社会の課題と地続きである。ユネスコの会議の場では、「朝鮮半島出身者を含めた労働者」という言い回しをしていたが、これに無宿人を含めないとすれば非常にいびつな展示構成になってしまうのではないかと心配している。

ざっと考えただけでも、これだけの重荷を佐渡の人々は担うことになるのだが、報道を見るかぎり、喜びの声が圧倒的に大きいようだ。今回の登録はある意味で、韓国への妥協のようにも見えるのだが、保守派の文化人らも思いのほか話題にしていない。むしろ、私のようなリベラル系の言論人のほうが率直な懸念を表明している。
  
佐渡の状況をテレビの画面越しに見る私としては、現地の人々が「世界遺産になんかならなければよかった」と後悔をする事態が来ないことを願っているが、現実はそれほど楽観視できないのではないかと危惧してしまうのである。

取材・文/井出明