ずっと心にあったタイトル案
―― そして次が表題作の「グリフィスの傷」。公園でお弁当を食べる習慣がある女性が、その公園で、かつてリストカットしてはその傷の写真をSNSにアップしていた元アイドルと知り合う。その元アイドルに向けて「あなた」と呼びかける形で語られます。グリフィスの傷とは、ガラスの表面についた目に見えない無数の傷のことだそうですね。
傷の短篇集を書くならタイトルは「グリフィスの傷」がいいなと思っていました。『透明な夜の香り』で表紙の作品を作ってくださった、ガラス作家の松本裕子さんとは以前から知り合いで、グリフィスの傷のこともずいぶん前に教えてもらったんです。たぶん十年くらい前。その時から、いつか本のタイトルにしたいと思っていました。
これが一番『あとかた』に繫がっている内容ですね。あれで書いた、自分の傷の写真を撮ってSNSで見せる行為について、もうちょっと考えて書きました。
―― この短篇では、中傷という意味での傷も書かれていますね。
自分が傷を負う話ばかりでなく、自分が傷つけること、加害についても書かないといけないなと感じていました。
舞台となる公園は、渋谷区の鍋島松濤公園をイメージしています。前に住んでいたのが松濤のはずれで、渋谷のほうに歩いて買い物に行く時に通っていたんですが、木が多くて、どよんとした感じの公園でした。そこから渋谷のほうにおりていくと、Bunkamuraがあって、道を挟んで円山町のラブホ街で。あの雰囲気が面白くて、書きたいなと思っていました。
――「からたちの」は、深い傷痕を持つ女性が主人公。彼女は傷痕をモチーフに描く画家のモデルとなっている。
私の中に、他人の傷や痛みを美しいと感じてしまう罪悪感があるので、それを出した作品です。
―― 画家の男の代表作は、戦争によって負った傷のシリーズ。彼は、傷痕というのは「生き延びたあかし」だと語りますね。
それは本当に心から思っています。身体、よく頑張ったね、生き抜いたね、って思います。
ただ、この短篇に書いた圧倒的な暴力による傷は、「生き延びたあかし」とはちょっと違うのかなと思っています。戦争や傷害といった、突然傷つけられる行為は、やはりショックとして心に残るだろうから。
―― 語り手の女性も突然の理不尽な暴力によって傷を負った人で、彼女にとって傷痕は、人の悪意が肌に残っている感覚ですよね。
人は日頃、自分は殺される存在なんだと思っていないじゃないですか。なのにそうなったら、自分がすごく小さい虫のような、踏みつけられてもいい存在に思えてしまう気がします。
この短篇では戦争についても書きたかったんですね。戦争があるたびに症例が増えて、創傷治療と形成外科手技が発展していったということに皮肉を感じます。
―― 一方、「慈雨」は優しい話でした。自分の不注意で誰かに傷を負わせた記憶の話ですよね。傷つけられた本人は忘れていても、傷つけたほうは覚えているという。
今回の短篇集の加害者は優しい人が多いかもしれません。これは連載の最終回だったので、いい話を書こうと意識しました。
うちには猫がいますが、漂白剤の匂いが大好きなんですよ。私はよく茶器や布巾を漂白するので気をつけていたんです。でもある時、まな板に漂白剤をかけた後、ちょっと目を離した隙に、まな板の上でごろごろされてしまって。漂白剤は気化するのが早いんですが、その前に身体を舐めたら猫の体内に入ってしまうと思って、必死になって追いかけて拭いて、逃げるのでまた追いかけて……というのを繰り返しました。結局猫は無事だったんですが、死んだら自分のせいだと思って、ショックで泣いて、吐いて、私がお腹を壊しました。
―― 作中の、子供に怪我をさせてしまった人もそんな思いだったのかも……。残りの二篇は書き下ろしですね。まず、「あおたん」。主人公の少女の住む町には、全身刺青のおっちゃんがいる。周囲は彼を怖がっているけれど、少女は彼を「あおたんのおっちゃん」と呼んでなついている。
自分で自分の身体を傷つける行為で、私自身が肯定できるものは何か考えた時に、刺青が浮かんだんです。
―― 少女はどうやら相当な美少女のようで、それゆえ不快な思いもしていて、あおたんのおっちゃんが守ってくれている。でも彼女は自分のことを肯定できずにいるようです。
今回の短篇集に整形の話も入れるつもりで、美容外科の先生に取材に行ったんです。整形って一般的に醜いとされる顔を一般的に美しいとされる顔にすることが多いじゃないですか。だからみんな二重にしたがる。「逆に一重にする人はいますか」と訊いたら、それはそれでいるらしいんですね。そもそも美の基準って一定じゃないですよね。私の周りにも、すごい美人なのに「自分の顔が嫌い」という人がいるので、自分をどう肯定するかにかかっているんだなと思うんです。
私自身はそんなに他人の目に映る自分を信じていないし、鏡を見るのも好きじゃないし、そういうことはどうでもいいと思って生きているタイプだけれど、こんな人生だったらこうなるかもしれない、と考えていったら主人公の心の中に入って書くことができました。
書いてみて感じたのは、結局人間って、誰かの目に映った自分しか肯定できないんだなってことでした。
―― 最後は「まぶたの光」。生まれつきまぶたがうまくひらかない先天性眼瞼下垂という病気で小さい頃に手術を受け、その後ずっと定期的にこども病院に通っている中学生の少女が主人公です。
作中に出てくるこども病院の先生は取材で出会ったお医者さんをモデルにしています。本当に素敵な方で、医療に希望が持てました。取材の中で先天性のまぶたが下がる病気の子の手術をすることもある、という話を聞いたのがきっかけです。それと、戦傷者の症例写真を眺めている子が出てきますが、それも書きたかったことのひとつでした。
―― どの短篇も、短いのに深く鋭くて突き刺さりました。千早さんならではの身体と心に対するとらえ方を堪能しました。
私は身体ありきだと思っているんです。文章を書いていても精神だけで生きているとは思えなくて、胃腸の調子が悪い時は何もかも駄目ですし。身体の調子によって性格も変わるというのは前から思っていました。だとしたら、身体の記憶や傷痕によって、何かしら変わってくるだろうと思いながら書きました。傷の症例って無数にあるので、本当にこれ、永遠に書けそうです。十篇では全然足りなかったです(笑)。