こじらせた承認欲求
これまでの経緯を振り返ると、この男性が自分の優位性を誇示して、周囲を見下すのは、自身の承認欲求が満たされず、欲求不満を募らせているからだと考えられる。本当は花形の融資課で成果を出して認められたかったのだが、実際にはそうはいかなかった。
それどころか、学歴では劣る同期に融資案件の数で負けるという体たらくで、結果的に不本意な形で異動させられた。当然、本人のプライドは相当傷ついたに違いない。
こういう屈辱的な事態は誰にでも多かれ少なかれ起こりうるはずだ。そんなときこそ真価が問われるわけで、自分が味わった敗北感とどう向き合い、どう乗り越えていくかでその人の価値が決まるといっても過言ではない。
この男性は敗北感と向き合おうとせず、乗り越えられなかったように見える。おそらく、学歴では自分のほうが勝っている同期に融資の実績では負けたという現実を受け入れられなかったのだろう。いや、正確にいうと、受け入れたくなかったのかもしれない。自己愛が強いので、自分の敗北をどうしても認められないのだ。
耐え難い現実から目をそむけ続けるには、「本当は負けていない。自分のほうが勝っている点もある」と自分で自分に言い聞かせられるもの、いわば傷ついた自己愛を補強するものが必要になる。
この男性の場合、異動先の部署で実績をあげて見返すことができれば、それに越したことはないのだが、それは無理だった。契約書作成の仕事を彼は見下していて、身が入らなかったのか、パートタイマーや契約社員の女性よりも1日に作成できる書類の数が少なかったからだ。
そうなると、仕事以外で自分のほうが優れている点をアピールするしかなくなる。だからこそ、この男性は自身の学歴をこれ見よがしにひけらかして相手を見下すようになったのだろう。
盛んに吹聴していた偉い人を知っているという話も、実は出身大学の同窓会で講演した一流企業の社長を間近で見た程度の関係にすぎないと、同じ大学出身の行員が話していた。ちなみに、この行員は現在携わっている業務で成果を出しており、周囲から一目置かれているうえ、上司からも評価されているからか、自らの輝かしい学歴を引き合いに出すことはほとんどないようだ。
くだんの男性に限らず、今パッとしない人ほど過去の成功体験を持ち出すように見受けられる。その最たるものが学歴だ。学歴は主にペーパーテストの点数で決まり、コミュニケーション能力や臨機応変に対応する能力を必ずしも反映しているわけではない。当然、業務内容によっては、高学歴だが仕事ができない人が一定の割合で存在する。
この男性の上司のように「いい大学を出ているのに、あまり仕事ができない」部下の件で相談を持ちかける管理職に何度もお目にかかったことがある。
これは、現在の入試制度を根本的に変えない限り、どうしても起こりうる悲劇だ。だから、高学歴なのに仕事ができない人がいたら、本人の適性を考慮して異動させるのは賢明な選択だと思う。ところが、この男性は、苦手な顧客対応をせずにすむ部署へ異動したにもかかわらず、それが不本意だったのか、不満たらたらで、周囲を見下すようになった。
このように周囲を見下し、自分の優位性を誇示する人の胸中には、こじらせた承認欲求が潜んでいることが少なくない。認められたいのに、認めてもらえないという不満がくすぶっており、ことあるごとに「自分はこんなにすごいんだぞ」とアピールせずにはいられない。
もっとも、いくらアピールしても、実績をあげられなければ、周囲から認めてもらえない。むしろ、総スカンの状態になりやすい。だから、余計に不満が募って、さらにアピールする。こうして悪循環に陥っていくのである。
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