ダチョウ倶楽部はクビです(笑)
だがその一方で、かなり破天荒な一面もあった。
「テアトル・エコーでは1年目が本科で2年目が専科に進むんですが、その本科の卒業公演が『フィガロの結婚』という劇で、僕がフィガロ、南部ちゃんがバジールっていう家来の役だったんですけど、王様に何かを献上するシーンで、南部ちゃんがアドリブでコンドームを渡しちゃったんですよ。
『南部ちゃん、何してんの!』って後で聞いたら『王様を喜ばせるためなんだから、コンドームでいいんだよ』って。ものすごい解釈する人だなーって。それが理由かわからないけど、南部ちゃんは1年目でクビになっちゃったんですよね」
南部さんは劇団をクビにはなったものの、その後も中村さんとの付き合いは続いたという。
「あるとき『芝居を観に行こう』って言うからついてったら、チケットがないって言うんですよ。『どうするの?』って言うと『楽屋におはようございまーすって言って、入ってけば大丈夫だ』って、堂々と入って席に座って、芝居観ながら『下手だな、こいつ!』って叫んだりして。一緒にいるこっちはたまったもんじゃないですよ。
それとか、山手線に乗ってたら急に倒れたこともありました。みんな驚いて集まりますよね。僕はもう他人のふりして見過ごした後に『何してんのよ!』って聞くと『みんなのビックリした顔を見学させてもらってた』とか言うんだよ。本当に奇人変人でしたよ」
いつも奇天烈でエネルギッシュな南部さんだったが、ダチョウ倶楽部“脱退”のときだけは落ち込んでいたという。
「南部ちゃんはダチョウ倶楽部を脱退したんじゃなくて、ただ“クビ”になったんです(笑)。テアトル以降に渋谷道頓堀劇場っていうストリップ劇場で、肥後くんや寺門くんや竜ちゃんと出会ってダチョウ倶楽部を結成したものの、あるテレビの生放送で南部ちゃんだけが呼ばれなかったんです。
偶然その番組を見た南部ちゃんが『なんで俺だけ呼ばれてないんだ?』と気づき、そのまま説明もなしに“強制的にクビ”になったと彼から聞きました。あのときばかりは『俺、この先どうしたらいいだろう…』って落ち込んでましたよ」
落ち込んでいた南部さんに、中村さんはこう声をかけた。
「南部ちゃんは『ひとり荒法師みたいな芸風が合うんじゃないの?』と言いました。それに対して南部ちゃんがどう答えたかは忘れたけど、その2年ほど後に電撃ネットワークを結成したんです。最初はコントみたいなことをやってましたが、やがて体を張った芸風に変えたところ手ごたえを感じ、その方向性に定まっていったようです」