答えはみんなで探そう

錦織 永原さんご自身は、作品のテーマに繫がるような、動物とのコミュニケーションの原体験みたいなものがおありなんですか?

永原 大した経験はあまりないのですが……。ものすごく個人的な経験なんですけど、私は長野の小さな町の出身で、子供の頃には家で犬や小鳥を飼っていました。進学を機に上京してそのまま就職したのですが、東京の「人の多さ」や都会での生活にもすっかり慣れた頃に六本木あたりを歩いていたら、向こうから犬を散歩させている方が歩いてきて。それを見た瞬間に「犬だ!」とものすごく驚いてしまったんです。久しぶりに人間以外の動物を見た衝撃というか……。今ならお散歩中の犬を見るのは普通で驚くこともないのですが、当時はまだ、ワンちゃんを連れてお散歩している方をあまり見ない時代だったので、本当にびっくりしてしまって。「あ、私ってこんなに簡単に、ふだん動物のことを思い出しもしない感性になっちゃうんだ」と愕然としました。ですので、水族館や動物園といった、ほかの動物の存在をリアルに感じられる場所というのは、とても大切なものなのでは、と個人的にも感じています。特に、子供たちにとってはそうなのかも……。

錦織 子供の頃に動物に触れておくというのは、本当に大切だと思いますね。例えばちょっとした磯場に行って、そこでいろんな生き物に出会う。岩をひっくり返すと、カニを見つけて「あ、動いた!」と小さな驚きを胸にとどめる。大人があまりに積極的に触れさせようとすると、子供の方も拒否感を覚えてしまうでしょうから、そうしたちょっとした体験で十分なのだと思います。葛西臨海水族園でも「いきもののミカタ」プロジェクトという、生き物そのものを伝えるプロジェクトをやったりしています。子供が自分の身体と五感で、動物に触れる体験を積んでおくのは、やはり重要でしょうね。

永原 本当にそうですね。いくら口で「動物を大事にしよう」と言われても、動物を生で見たときの「あ、本当に存在しているんだ」という、ダイレクトな感覚は、日常的に味わえるものではないし、それゆえに、もろく壊れやすいような気がします。そのことを考えると、今の時代、水族館や動物園といった施設は、議論の多い、複雑な立場に置かれているようにも感じますが、たとえばその形態が変わっていくことはあるかもしれなくても、この先も在り続けてほしい、と思っています。

錦織 動物園や水族館というのは、不思議な施設で。おっしゃる通り、特に東京のような場所では、動物には触れにくい。いろんな種類の動物がいて、見て、触れて、感じることができる場所というのは、やはり動物園や水族館になるわけです。
 ところで永原さんは、『コーリング・ユー』をお書きになっているとき、人間と動物との付き合い方に対するメッセージなどを考えていらしたりしたのでしょうか。

永原 考えてはいましたが、完璧な答えを私が提示しようという気持ちはなくて……。基本的には、「答えはみんなで探そう」というスタンスでした。世界は、いろんな立場の、いろんな目的や事情を背負った人たちによって成り立っている。そんな、白黒では簡単に解決できない世界の一つの形を提示してみたい、と考えながら『コーリング・ユー』を書きました。その複雑な世界の中で、私たちはどうしていったら良いのか、という思いを込めて。

錦織 それは、とても大事な視点ですね。先ほどの動物園や水族館の話に戻りますが……。『コーリング・ユー』の中で動物の解放の話に少し触れている箇所がありますが、解放について発信する人々が、どこでその考えに至ったかというと、たいていはまず、動物園や水族館なんです。そこで動物を見て、彼らの生態や置かれている環境について学ぶのと同時に、彼らを何とか逃がしてあげたいと思ったりする。特にシャチやイルカのような鯨類だと、野生状況で見るという機会はほぼないですから、私たちがイルカなどを思い浮かべるときのイメージは多くの場合、水族館で見たときに培ったものなんです。動物園や水族館の意味というのは、そういうところにもあるのかもしれないですね。飼うというのはいろいろな問題があるかもしれない。一方で、飼わなければ伝えられないものもあるかもしれない。

永原 そうですね。イメージができないと、気遣うこともできない、というのは、どこかに必ずあると思います。

錦織 全てを体験することはできないけれど、自分の手持ちのいくつかの経験を結び付けてイメージしてみるというのは、非常に大切な考え方ですよね。その意味で小説は、まさに疑似体験の場です。あとは実際に、フィールドで見てもらえると、なお良いですね。

永原 水族館でのお仕事のことなのですが、先日、錦織園長が監修・編著をされたご本を読ませていただきました。そこに、水族館で働いていらっしゃる方の手のお話などが書かれていて。ずっと冷たい水に触っているから手肌は荒れるけれど、ハンドクリームを付けられない作業もある。包丁ダコのできた手は、毎日、飼育している動物の餌を包丁で切っている人の手。そうして飼育員さんたちの手は傷がついていくけれど、それは素晴らしい、働く人の手なのだ、とお書きになっていて。本当にそうなのだろうなあ、と。

錦織 読んでいただいてありがとうございます。水族館でいうと、水槽に見える魚の向こうでは、水をきれいに保つため、濾過槽に微生物を飼っていたりするのですが、これは皆さんからは見えません。けれど水族館も、水槽も、その他のこともそうだと思いますが、裏方がいて成り立っている。みんなが一生懸命、それぞれのパートをやることで初めて、皆さんに見てもらっている水槽が、良い状態で見えるんです。

永原 今日、この葛西臨海水族園を訪れて園長のお話を伺って、本当に今おっしゃられた通りだと思いました。改めて最前線で働く方々のご努力の重みを感じました。

錦織 永原さんはこの先、いろいろな作品を書かれることと思いますが、これから小説の道をさらに極めていかれるのを、とても楽しみにしています。次回作以降も期待しています!

永原 そうおっしゃっていただけて、ありがたい限りです。私の方も、今日はいろいろなお話を伺うことができて、勉強になりました。本当にありがとうございました! 

永原 皓 × 錦織一臣 小説すばる新人賞受賞作『コーリング・ユー』 刊行記念対談_4
撮影後、園長が部屋の隅から取り出したのは……
カニとナマコのかぶりもの! 

「小説すばる」2022年3月号転載

関連書籍 

永原 皓 × 錦織一臣 小説すばる新人賞受賞作『コーリング・ユー』 刊行記念対談_5
コーリング・ユー
著者:永原 皓
集英社
定価:本体1,600円+税 
永原 皓 × 錦織一臣 小説すばる新人賞受賞作『コーリング・ユー』 刊行記念対談_6
櫓太鼓がきこえる
著者:永原 皓
集英社
定価:本体1,600円+税 

オリジナルサイトで読む