「みんなのため」もじつは「自分のため」
「集団のために」という意識は、より正確には「集団の中にいる自分のために」であり、それほどに文化的自己観が、人の価値観や考え方に与える影響は支配的で強力です。
だから、自分のことを優先するためには、まずは集団の一員としての自分ではなく、個人としての自分について考え、一人だけでの「自分らしさ」を作っていくことが大切になります。
日本語には、自分のことを指す単語がいくつもあり、周囲の状況、場面、相手などによって使い分けます。私、自分、俺、僕、当方、小生……などさまざまに変わることができて、自分を表す主語がなくても文章が成立して、意味を成すこともできます。
一方、英語における「自分」は基本的に「I」だけで、周囲の状況、場面、相手によって変化しません。また、文章において省略されることも通常はありません。こうした言葉の違いは、文化におけるコミュニケーションの違いに繋がるとされており、その意味でも、やはり日本における「自分」は、優先順位の低い存在として考えられやすいといえるでしょう。
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文/永井竜之介
写真/shutterstock