「悔しさ」が先か「申し訳なさ」が先か
以前、こんな話を耳にしたことがあります。海外のスポーツ選手は、大事な試合で負けた後、何よりも「自分が悔しい」と思い、ときに荒れて物に当たったり、試合後の会見を拒否したりして、怒りをあらわにする人が多いといいます。
それに対して、日本のスポーツ選手は、同様の場面で、「申し訳ない」と思い、落ち込み、支えてくれたチームやスタッフ、応援してくれたファンへ涙ながらに会見で謝罪する人が多いそうです。例外はあれど、全体的な傾向としては納得できる違いでしょう。
もちろん、会見に対応することがプロ選手としての責任の1つになっている競技もあるし、会見での言葉が決して選手の本音とは限らないこともあります。その意味では、日本のスポーツ選手はプロ意識が高く、「周囲が自らに求めている役割をちゃんと全うしよう」という集団意識を持っているといえます。
ただ、より根源的には、「自分のために頑張ったのに、失敗して悔しい」という個人の意識よりも、「みんなのために頑張ったのに、失敗して申し訳ない」という集団の一員としての意識が強すぎることが背景にあると考えられます。つまり、個人としての自分よりも、集団の一員としての自分の方が、優先順位が高いのです。