「棋士」でいる間、母は

窓外に広がる芝生が、冬の日差しに照らされて輝いていた。

2018年12月4日。結婚式場として名高い明治記念館で、新人王戦を史上最年少で優勝した藤井の表彰式が行われた。

式は毎年、囲碁の新人王の表彰も合同で行われる。えんじのネクタイを締めたスーツ姿の藤井に対し、囲碁の新人王・広瀬優一(ひろせゆういち)は、りりしい和服姿で現れた。当時16歳と17歳の2人が晴れ舞台に臨んだ。

藤井への祝辞に立ったのは、師匠の杉本。

「藤井が小学4年の時、初めて平手で指して負かされました。もう一局指して、実は私が勝ちました。こちらはあまり報道されていないので、この場をお借りしてお話しします」

約170人の来場者の笑いを誘う一方、こう述べた。

「よく『師匠が育てた』と表現していただくが、師匠がやってあげられることは少ない。本当に育てたお父さん、お母さん、ご家族の存在が大きくて、今の藤井聡太七段がある」

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会場には、藤井の母・裕子の姿もあった。息子の晴れ姿を見るために愛知県から駆けつけたが、本人には声をかけなかった。藤井が「棋士」でいる間は、そっと見守る。それが、親子の暗黙のルールだ。

式次第は謝辞へと移った。金屛風の前に進み出た藤井は、緊張気味に語り出した。

「新人王戦はトップ棋士への登竜門と言われている棋戦ですので、この優勝を機に、さらなる飛躍ができるよう、日々精進していきたいと思っています」

藤井が頭を下げると、会場から拍手が湧き起こった。

わずか3カ月余りの間に四段から七段に昇段し、第11回朝日杯将棋オープン戦では全棋士の頂点に立った18年。最後の出場となった新人王戦でまた一つ勲章を手にした藤井は、新たなステージの入り口に立っていた。

※肩書き、名称、年齢、および成績などのデータは、原則として取材当時のものです。


文/朝日新聞将棋取材班
写真/photoAC、共同通信社(サムネイル写真)

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