「なあ、ジョージ。はっきり言ってオレたち、この曲はクズだと思うんだ」

この時マーティンは、ヒットするのが確実だと判断した楽曲『ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット』を用意し、ビートルズのデビュー曲にするつもりでいた。

だが、ジョンとポールはレコーディングはしたものの、自分たちのオリジナルで勝負をしたいという気持ちを捨て切れなかった。

とうとうジョンが口火を切った。

「なあ、ジョージ。はっきり言ってオレたち、この曲はクズだと思うんだ」

ジョージの驚いた顔を見て、彼はいくぶん表現を和らげた。
「つまり、確かに良い曲かもしれないけど、オレたちがやりたい路線とは違ってるってことさ」

「じゃあ、キミたちは一体どういう曲をやりたいんだ?」

眼鏡を外し、目を細めてジョージを見つめたジョンは、単刀直入にこう言った。

「オレたちはどっかの誰かが書いたヤワな曲じゃなくて、オレたち自身の曲をやりたいんだ」

ジョージ・マーティンはかすかに面白いという顔をした。

「じゃあ言うがね、ジョン。キミたちがこれに負けないくらい良い曲を書いてきたら、喜んでレコーディングしようじゃないか」

ジョンは彼を睨みつけ、しばらく不穏な空気が漂った。そして礼儀正しい口調のポールが、マーティンに向かってこう訴えた。

「今の僕らは、ちょっと違った方向を目指したいと思ってるんです。それに僕らの曲は決してその曲に負けてないと思います。もしよかったら、ちょっとやってみたいんですが」

マーティンは沈黙を破り、「分かった。じゃあ、その曲を聴かせててくれ」と穏やかな調子で言うと、メンバーと共にスタジオの中に入っていった。

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『ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット』は1位、『ラヴ・ミー・ドゥ』は最高17位だったが…

ビートルズのメンバーはマーティンを取り囲むようにして、『ラヴ・ミー・ドゥ』のリハーサルを始めた。その場で歌と演奏を聴いたマーティンは、「今のままじゃ何かが足りない」と言って、ジョンにこんなアイデアを投げかけた。

「ジョン、きみはハーモニカを吹いていたな? 何かブルージーなフレーズを吹いてくれないか? なんならソロはどうだ?」

ここまでが9月4日の最初のセッションでの出来事で、当然だがリンゴはその2曲でドラムを叩いていた。

しかし、マーティンには技量不足だとみなされて、11日に再び行われたセッションではベテランのセッションドラマー、アンディ・ホワイトが呼ばれた。ドラムの座を奪われたリンゴは、『ラヴ・ミー・ドゥ』ではタンバリンを叩く役割になったが、不平を言うことなくプロデューサーの指示に従った。

こうして完成した『ラヴ・ミー・ドゥ』は、1962年10月5日にパーロフォンから発売されて、世界の音楽史の新しいページを開くことになった。

『Love Me Do』。Welcome to The Beatles Official Youtube Channel.より

なお『ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット』は、その後リヴァプールを中心に活動していたジェリー&ザ・ペースメイカーズのデビュー・シングルとして発売になり、1963年4月11日から3週連続で全英チャート1位を獲得するヒット曲になった。

発売当初の『ラヴ・ミー・ドゥ』は最高17位だったから、この楽曲を選んだマーティンの耳が正しかったことは明らかだ。

だが、自分たちの作品にこだわっていたビートルズの意向を尊重したことは、何にもまして実に賢明なるプロデューサーの判断であったと言える。


文/佐藤剛 編集/TAP the POP  写真/shutterstock

<参考文献>ジェフ・エメリック、ハワード・マッセイ著、奥田 祐士訳『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実 <新装版> 』(白夜書房)