ゆくゆくはフランチャイズ化を目指していた弘輝さん
男性が最後に弘輝さんと会った1カ月ほど前も、経営も順調で何かに悩んでいるような素振りはなかったという。
「まあ、この一等地でやってるし、安さも売りでやってましたし。実家が製麺所というアドバンテージはあったでしょう。この味を作るには500円じゃとても無理だというのは食べればわかりますから。ただ、いつも500円だったわけじゃなくて、『新規のお客さんを獲得するためにセールをしている』と言ってました。材料もすごくこだわっていて、チャーシューを作る機械も何百万円もするのを入れていましたし、そういう努力の中で1杯500円を絞り出していたんで」
弘輝さんは、ゆくゆくは店舗のフランチャイズ化を目指していたという。
「3店舗から5店舗くらいは出したいと言ってましたね。いずれは昭仁に店舗を任せるつもりがあったかどうかまでは聞いてませんが、弘輝本人は『俺もいつまでもキッチンに立てないから、なるべくチェーンにして味を継いで欲しい』と夢を語っていました」
15日の金曜日も弘輝さんが昼の営業を終え、昭仁容疑者が午後6時に夜の部を開店するはずだった。しかし、弘輝さんの母親が様子を見に来た午後7時20分ごろ、店のシャッターには「臨時休業」の札が下げられ 、昭仁容疑者の姿はなかった。
「昭仁の担当時間は夕方6時から深夜1時なので、通常なら午後4時台には店に来てスープの準備をするか、もしくは弘輝が夜の分のスープを作ってる最中に昭仁が来るか。店内のカウンターはL字で手前に2席、奥に8席くらいで、L字の角にウォーターサーバーが置いてあって、弘輝はそこに倒れていた。おそらく午後3時から5時ぐらいが(犯行)時間じゃないかなと思います 」